失楽園 第一章 第四節

いつもの服に袖を通す。

何故かここ数日から夢見が妙に悪い、今日は八年前の事を思い出してしまった。

そのせいか、俺は機嫌が悪かったのだろう、会議室に向かう途中誰も近づくことは無かった。

ただ一人を除いては。

「ねえ君〜、会議室って何処に在るん?ここは妙に広くてわからんくて〜」

「.....お前....見ない顔だな」

「まあ〜、それより会議室ですわ〜。この調子じゃ日が暮れそうで」

「...俺も向かう途中だ、一緒に来るか」

「おお!!ではお言葉に甘えて〜」

そうして見知らぬ男は俺の隣に並びたった。

よく見ればこいつ、見たことない制服を着ている。

背中に大剣をぶらせげているし、武人なのだろう。

怪しげな男はそうして俺の隣を歩いたまま終始無言であった。

「おお!!ありがとなお兄さん、助かったわあ〜」

そうして共に会議室の扉をくぐった。

そこには重々しい空気が漂っていた、皆銀の仮面を付け、まるで俺を待っていたかのように視線を感じる。

いや、俺ではない、隣の男だ。

男は背中の大剣を床に下ろした、柄に両手を置き堂々と立つ。

「......お初お目にかかる、世界政府軍元帥が一人、東の元帥アルブム=クラヴィス、貴公等に助力を願うため参上した」

世界政府軍、それは下界全体を取りまとめる組織、下界全体を一つの国だとするならばその国の軍隊の役割を果たす機関。

そして現在も天と戦い続ける者達。

下界の覇権は世界政府軍が握っており、政治も、外交も請け負う。

今まで俺達は自分たちの存在を隠してきた、名もない小さな帝国の小さな騎士団だ、それが強力な騎士団というならば下界にこき使われるのは目に見える。

俺達は小さな自分たちの世界が守れればそれでいいのだ、俺を除いた団員は。

「ようこそ御出でなさった、アルブム卿。今回このような小さな我々の帝国に何用か」

長机の最も奥に腰掛ける騎士長は陽光のおかげで顔を読み取ることはできない。

「助力を願いに。先日この帝国に熾天使が降りてきた、そしてそれに耐えたと噂になっていますゆえ」

「単刀直入で願いたい」

「.....情報提供と一時的な軍事協力関係を望みます、さすればこちらも貴公等からは手を引きましょう」

騎士長の目は鋭く光った。

突き刺すようなそれに俺は思わず俯いてしまった。

「ほう、同志を売れと申すか。貴殿等は悪戯に戦争で命を散らすばかりで全く戦場の戦士の事など考えぬ外道共に、同志に同じく戦場で華々しく散れと言っているのだな」

「否定はしない、確かに我らは外道である。同じ戦士として戦場に出れず、八年間悪戯に命を散らした。だがそれもこれまで」

そうして彼は負けず劣らず、騎士長に鋭い眼光をぶつけた。

「我々は天界へと繋がる入口を見つけた」

その一言で会議室は一気にざわめいた、皆口々に驚愕し否定的な言葉を並べる。

「世界政府軍は特攻隊を編成でき次第天界に突入する作戦を展開したい、その為にも数多くの強者が必要なのです」

俺はその話を聞いて思わず口を開いてしまった。

「......騎士長、発言の許可を」

「ルクス.....いいだろう」

そうして隣の男に向き合った。

アルブム卿は真剣な眼差しで俺を見つめるばかり、俺を試すような瞳だ。

「......アルブム卿、戦争はもう疲れた」

「ああ」

「天使共はひたすら降り続け、神はあの時以来姿を見せない臆病者だ。この戦争はなんの為に始まったのです?誰が何を欲し、求め、傲慢になっているのか。誰もわからない」

俺は拳を握りしめた、今も鮮明に思い出せるあの光景を。

何も出来なかった自分が憎い、それ以上に天が憎い。

その本山を叩ける、神を地上に引きずり落とせる、天使が空を羽ばたくことがなくなるならば。

「俺は貴方に加担しよう」

「......ルクス」

「騎士長、我々は今まで幾度となく天使を地に叩き下ろした。けれど一向に神は現れない、ならば元を叩くしかないでしょう。もう、やめませんか?世界を守ることは、帝国を守ることです。それをわからない貴方ではないはずだ、どうしてそこまで拘わるのですか」

騎士長は俺を見つめるまま黙り込んでしまった。

わかっている、騎士長にも譲れないものがあるなど、それでもそれがわからない貴方ではないはずだ。

一気に叩く機会だ、逃すわけにはいかない。

だが俺の予想を超えた騎士長はすっぱりと言い切った。

「.......いいだろう、アルブム卿」

「ありがとうございます」

「ルクス、アルブム卿を応接間に案内せよ」

「よ、良いのですか....?」

「お前は我儘をこねたわけではあるまい、何故そんな顔をする。誇りをもって胸をはるがいい」

そうして騎士長は立ち上がり、机に広げてある書類をまとめ始めた。

「これで会議を終わりとする。解散せよ」

「き、騎士長。詳しいことを」

「何故かような童のいうことを」

「騎士長」

「騎士長」

皆席を立ち上がり一斉に彼へ押し寄せた、同じ言葉を口にしてばかりで誰も聞く気などなかった。

俺は騎士長に一礼して会議室の扉を開ける。

「こちらですアルブム卿」

誰もいない静かな廊下を歩く、昼の暖かな陽光が床を反射して眩しい。

「ふーん、君が熾天使を止めたんか」

後ろからついてくる男は、先程の覇気など微塵も感じさせない柔らかな口調であった。

俺は彼の問いには答えず沈黙を貫いた。

「実は俺、戦争始まる前にその熾天使と兄妹の智天使とも剣を交えたことあるんだけどなあ。ああ、勿論『銀狼』のことなんだけど」

「......強かったか?」

「ああ、この兄妹だけで人間を滅亡させる具合にはな」

顔を伺うことはできないが、声の調子はなんだか楽しそうで、もしかしたら彼は戦闘狂なのではないかと静かに思った。

「でもおかしいんだよなあ」

「その兄妹がか?」

「違う違う。この兄妹が戦場に出ているのに、何故かなあ。レイト皇子が二人だけを出させるはずないのに、なんであいつは姿見せないんかなあ思って」

「レイト皇子......?」

「知らないんか?太陽神アポロンと天空神ゼウスの二つの神を宿す天界の皇子さ。戦争が始まる前の天界と下界の関係を再び戻した英雄、そして兄妹の主なのさ。あいつはそれは仲間を大事にする奴でな、自分の事のように泣くし怒るし笑う。そうだな、人間みたいなやつだったよ」

そうまるで懐かしむように喋る男は今まさに脳裏でそいつを思い浮かべているのだろう。

「まあ.....あいつがいれば戦争なぞ起こらんか...」

「死んだってことか?」

「それが全くわからん。噂ではレイト皇子はタルタロスに突き落とされたとか、戦争の為に俺達に再び歩み寄っただの、そんなくだらないことばっかりさ」

「......貴方はどっちの味方なんだ」

「正しい者の味方さ」

そうして俺は足を止めた、男も足を止める。

俺は後ろを振り返り脳裏を横切るそれを捕まえて言葉にした。

「正義などあるものか」

「全くその通りだ」

「ならば貴方がいうそれはなんだ」

「正義などない、同時に悪もない。正義の定義などなく悪の定義も存在しない」

男は右手を自らのこめかみに当てて爽やかに笑った。

「存在するのは意志のみ。己が正しいという意志が強い者が正義で、勝者だ。一般大衆が正義で異色少数が悪だ。なぜならそれが人だからだ」

「貴方がいうことが正しいなら。それは、嫌な生き物だ」

「そう我々は嫌な生き物だ」

男はこめかみから手を下ろすと横に並び立つ。

「それを愛した男がレイト皇子だ。彼は迫害されてもなお、信念を曲げることはしなかった。弱きをよしとし、強きもよしとした。彼は昔、『弱い者がいるのは当たり前で強い者もいるのも当たり前だ。ようは色んな人がいる中でどんな世界にしたいか、俺は下界も天界も平等な世界を作りたいよ』と言ったんだ。最高にクールだよなあ」

そうして太陽を見上げる顔は笑っていた。

思い出し懐かしむ顔を見たら、一瞬だけ会ってみたいと不覚にも思ってしまった。

「俺は天の味方ではない。レイト皇子の味方をしている、俺は彼の意志の強さが正しいと思うからだ、だから俺は彼の味方でありたい」

「そんなの裏切りと変わらないではないか」

俺は拳を握りしめた。

確かに会ってみたいとは思う、そんな真っ直ぐな奴が本当にいるのならば。

だが胸にくすぶるこの想いは、そんなもの許しはしない。

この想いはいう。

『ならば何故彼女は殺された?』

胸の中の悪魔が笑っている、以前はこんなに奴の声は聞こえはしなかった。

なるほど、俺の体はついにガタがきたということか。

『そいつはか弱い彼女すら、救ってくれなかったではないか』

あの時無様に泣く俺が脳裏をよぎる。

悪魔はヒタヒタと俺の心臓に近づいている。

『どこが平等な世界だというのだ!!!』

そうして心臓に手をかけようとした。

「黙れ」

俺は壊れかけの体を一喝し、男をみる。

「......応接間はこっちだ」

そうして全てのことに見ないふりをした。

 

 

 

「ではここで」

「ありがとなあルクス君、どうやら俺の急な訪問で本来の会議ができなかったらしいことは謝ろう」

「お構いなく」

俺は即さくと扉を閉め、廊下を早足で駆け抜ける。

何故俺はこんなにも息が上がっているのか、何を焦っているのだろうか。

気がついたら自らの部屋にいた。

心臓がうるさいのかそれともこいつがうるさいのか区別がつかない。

気のせいか、意識も朦朧としてきた。

その時、再び青いドレスが見えた気がした。

 

「やあい、生きてる?」

そこには人形を手にしたあいつがいた。

意識がはっきりしたと思ったら、またここだ。

見渡す限りの白い空間にもそろそろ慣れてきたものだ。

 「そろそろほんとに死んじゃうよ?おにいーさん」

「......黙れ、言われなくてもわかってる」

奴は相変わらず地に足をつけることなくふわふわと俺の顔を覗き込んでいる。

「僕との契約切っちゃえば〜?」

「それじゃ天使は殺せない」

「それもそうだ!おにいさんの願いがそれだから、僕は君と契約した。僕はまだ生まれ変わったばかりで飛べないんだ」

「.......どういうことだ」

「待ってるんだ」

悪魔はそう言って人形を握りしめ、嬉嬉とした表情で上をみた。

「おにいさんが天使を殺していけば、きっといつか出会える。僕の創造主、僕の主、僕の存在意義、僕の狂気。ああ、アモル.....君を数千年も待ったよ」

「アモル.....?」

聞いたことがある名前に首を傾げる、確かどこかの書類で目を通した時にそんな単語に出会ったことがある。

「もうすぐ......君に会える。おにいさんも感じるでしょう?」

ヒシヒシと何かが近づく足音を確かに感じる。

白い空間も何やら震え、喜びを表現しているようだ。

「......アモル。そうだ、その名は」

「そう、今は『銀狼』なんて呼ばれているらしいね。でも、君達はまだアモルの本気を知らない」

空間の揺れはどんどん増していき、地震のように揺れている。

「だって、彼女の『力』、今僕が持っているんだから」

「ということは、お前は俺にそいつの力を提供していたということか」

「違う違う、それはちゃーんと僕の力さ」

悪魔は俺の背後をとり、耳で囁いた。

まるで宝物のように優しく扱った。

「『嫉妬は時に狂気へと変貌を遂げる』」

「それが僕、もう一人の『                  』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう一人の.......」

気づけば自室の床で倒れていた、すっかり日は落ちてしまっている。

悪魔最後の言葉を咀嚼する。

だがおかしい、何故ならその悪魔は二人は存在しない、いやできないはずだ。

八年の歳月を経てようやく知ったその名前を口に出した。

「『レヴィアタン』.....?」