アヴェスター 第三章

少女は嘆いた。

あの時、しっかりとその手を掴んでいればよかったと、今更後悔した。

激しい雨が己を打ち付けたが、想いは流してくれなかった。

少女は親友の、いや自分の為にただ走った。

自分の数少ない願いだ、優先させて悪いなど、彼女と親しい者は言わないだろう。

恋をしていたわけではない。

いやいっそ、恋であった方が楽であっただろうに。

ただ、ただ救われたのだ。

いきなり現れた彼は、いきなり消えようとしている。

それがとてつもなく苛ついた、親友の契りを交わしておきながら全く無責任ではないか。

何度となく背中を預け、救い救われ、喧嘩をした。

ただその日々が、少女にとってどれほど輝く宝物であったか。

それを踏みにじろうとする、諦めようとする、勝手に現れ勝手に懐に入ってきながら、なんて。

彼は一言、ごめん、とらしくもなく謝った。

何をいっているのだ、と。

お前らしくない、どうしたのだ。

彼女は彼に問うた。

彼の冷たくなった手を握りしめた。

どうしたのだ。

彼の胸倉を叩いた。

どうしてなのだ。

彼の頬を撫でた。

どうして。

赤黒い見慣れた色が。

また。

 

恋をしていたわけではない。

ただ少女は救いたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全く何が起こったのか自分には理解できなかった。

先程まで確かにメタノイヤ大将が攻めていたはずだった。

目の前で繰り広げられるのはもはや人ではついていけない。

アモル隊長が大将の水平切りを弾き返したと思ったら、目にも留まらぬ早さで一方的に攻撃にかかったのだ。

早すぎて全くと言っていいほどに太刀筋が見えない、残像の後を見つけ、また見つけと。

加えて威力も凄まじく、防御に徹する大将を一太刀で弾き飛ばす。

成人男性であり自らより重い大将をああも軽々と、あれが隊長の実力なのだろうか。

本当の意味で火花を散らす攻防戦を食い入るように見る。

素早い突きを弾き飛ばし、振り下ろされた刀を滑らせ、回された足を籠手で防ぐ。

すると隊長は、埒が明かないことに気がついたのか、後ろに飛び退いた。

それを大将が逃すはずもなかった。

 

 

 

興が乗った、なんてただの言い訳だ。

『銀狼』を知っているといった、懐かしい響きだが忌々しいそれを知っていると。

ならば致し方ない、事故ということで死んで頂こう。

なるほど、今日私はこいつを始末するために来たのだな。

私は手馴れたように敵の急所を確実に切り裂く、だがそれは届く前に全て弾かれてしまう。

ならばと、回転を加えた蹴りを右から喰らわせようと足を振り上げるも、虚しく全て防がれる。

人間の『大将』を張っているだけはあるということだろうか。

私は思わずうっそりと微笑んだ。

こいつを観察していて分かったことは、防御型の剣士であるということ。

それは私とは正反対の剣術だ、もちろん防御に徹する剣術を使えないことはない。

何故なら私は、天使の中でも身体能力が飛び抜けて高い一族の末裔、「雷天族」だからだ。

人間がそれを知っているわけはない、「雷天族」は全ての武の元、何百もの武術を編み出し、習得し、伝承してきた。

それを私が知らないわけがない。

まぁ、もう数が少なく病弱だというのが玉に瑕だが。

だがそれで、ようやく人間は渡り合えるというものだ。

私は大きく後退した。

刀を空中で回して持ち直す、腰低く逆手で構えるそれは、原本の六型「紫苑」。

速さに特化したもので、私が得意とする型。

力強く足に力をこめ、地面を蹴り飛ばす前にそれはきた。

先程までとは圧倒的に違う殺意が、決して鋭くはない、だが鈍器で殴られたような重いそれが前方から押し寄せてくる。

その中に紛れた僅かな気配が背中を刺した、私は思わず上に飛び上がった。

そこには跡形もない地面、その中心に敵はいた。

奴の眼光は鋭く、先程までの優男の欠片も感じない。

鈍器のような殺気は、ひしひしと私の頬を殴る。

なるほど、ここからが本番と言うことか。

これが笑わずに居られるか。

この刺すような殺気、緊張感、これはまさに命の取り合いだ。

油断した方が死ぬ、弱い者が死ぬ、足を取られた方が死ぬ、気を緩めた方が、諦めた方が、挫けた方が、啼いた方が、堕ちた方が、死ぬ。

これが楽しまずに居られるか。

 

 

 

 

言ってしまえば、見ていられない。

アモルの振るう刀が、相手の胸を掠った。

何があったか知らないが、どうやら乗せられたらしい。

思わず頭を抱える。

もしかしなくとも奴が強いのは十分承知だ、もちろん相手の命を奪うこともないと願いたい。

いやアモルなら奪えないだろう。

そしてことの元凶、フォルの肩に手を置いた。

「お前……元帥なんぞになるから腹黒が更に増したぞ。真っ黒だ、闇だわ」

「そうかぁ?お前はあの時から餓鬼が抜けて大人しくなったな、安心したぞ」

「余計なお世話だわっ」

そう、此奴はアモルの実力などとうの昔に知っているのだ。

だからわざわざこんな決闘などしなくとも、部下を任せられんなどほざきはしない。

それに気づいたら元帥なんぞになっているのだから、どうしたもんか。

昔の仲間達は、どうやら相当拗らせ引きずっているとみえる。

俺は隣の少年を見た。

バーナーといった彼は、目の前の決闘に釘付けでその目はキラキラと輝いていた。

これからの冒険に期待を隠せないその輝きと、上に立つ者の実力に惚れ惚れしている。

まるで夢を見つけた少年のようだった。

その姿は遙か遠い、遠い、もう埋もれてしまった昔の自分が重なって見えた。

今では太陽だと崇め祀られる偶像に成り果てた、確かに己は太陽だ。

だが、彼の方がよほど太陽にみえる。

あぁ神よ、何故自分だったのですか。

こんなことなら、俺は地に落ちたかった。

一緒に泥水を啜りたかった。

その方がまだ太陽として輝けたものを。

帰ってくるはずもない返答に、自嘲した。

神だなんて、ここに神がいるだろうに。

俺は目を細める、決して滲みそうになったわけではない。

するとフォルが、俺の肩に手を置いた。

「お互い、引き返せないとこまで来たな」

「……全くだ」

俺達は二人でひっそりと笑った。

この時だけ、俺達はあの時の俺達に戻った気がした。

 

 

 

 

隣から楽しそうに笑う声が聞こえたので顔をあげると、元帥とレイトさんが何やら会話していた。

二人共何処か懐かしむように話している。

すると、バチリとレイトさんと視線が交じる。

俺は視線を逸らそうと慌てて前を向く。

「バーナー、アイツを目標にするのは止めておけ。見ての通り、頭おかしい」

「な、何でですか!」

俺は予想外のことに身を乗り出す。

すると、レイトさんは口を抑えて笑い出した。

そんなにも面白かっただろうか。

「いや、すまんすまん。あまりに似ていてな」

「昔、お前のような男がいたということさバーナー」

「は、はぁ……」

レイトさんは一頻り笑った後、俺の肩に手を置いた。

彼は羨望の眼差しで俺と目を合わせた、そして細める、眩しい何かが見えるように。

俺を見ながら、誰かを見ていた。

「目標に届く、コツを教えよう」

そして彼は前を向いた、さらにその向こうを。

その瞳はキラキラと輝いて、吹き抜ける風が髪を揺らす。

これが彼を神たらしめるものなのかもしれない。

つくづく俺の周りは美男美女しか居らず、何処か遠くをみる彼は一等輝いてみえる。

「諦めるな、足を止めるな。そして馬鹿みたいに前しか見るな、前はまだ未開の土地、後ろには自分が歩いた道しかない。どうせ見るなら『道』より『未知』の方が、わくわくするだろう」

彼はそう言うと、ニッと笑って見せた。

いや、これが彼を彼たらしめるのだろう。

「はいっ、レイト皇子」

「…………レイトでいい」

優しく撫でる風の中で、今度の彼は俺を見ていた。

「いや、しかし……」

「レイトが、いい。俺は堅苦しいのが嫌いでな、皇子と友達に慣れる機会だぞ?」

彼は悪戯っぽく笑う、それは夏の青空がよく映えるような笑み。

「……レ、レイト……」

俺はもごもごと口の中で転がすように名前を呼ぶ。

すると彼は思いっきり笑い出した。

「いたっ」

バンバンと背中を叩かれる、彼は本当に楽しそうだった。

「よろしくな、バーナー」

「……ぉ、おう…………レイト」

「何を馬鹿なことやってるんだお前らは」

元帥がニヤニヤとした顔でこちらを見た。

レイトは、友達と戯れていた、と楽しそうに笑う。

新しい友達だから、と臆病ではなく、かと言ってめんどくさい絡み方でもなく。

彼とは良い友達になれる気がする。

刹那、ぞわりと背中を撫でられるような感覚に決闘の方に視線を向ける。

隊長と大将が相変わらず撃ち合っていた、互いに所々傷つき出血も見られる。

大将は隊長の水平回転斬りを受け止め、そのまま隊長を大きく上に弾き飛ばした。

だが、上空で彼女は笑っていた。

その時にはもう既に遅かった、隊長の振り回した斬撃波が野次馬たちに、そして俺達にも向かってくる。

それも第三波ほどある、これを避けても次避けられるか。

「問題ない」

「は」

野次馬達を斬撃波が襲う、だが何も無い空間でそれは弾け去った。

そしてレイトは右手を薙ぎ払うように動かすと、何故か炎の壁が視界を覆った。

「っつぅ〜、あの子強くなったなぁ」

元帥はいつの間にか持ち上げていた腕をブラブラと振る。

そして元帥が腕を下ろすと同時に、野次馬達の周りをガラスのような光が弾け飛んだ。

「これはいったい……」

「何だ、知らんのか」

心底以外だという顔をすると、レイトも腕を下げた。

同時に炎は地面にチリチリと後を残しながら空気に溶けていった。

「フォルはなぁ、俗に言う『エスパー』って奴だな。まぁそこら辺のエスパーとは次元が違う、化物級だ」

レイトは胸をはり、まるで自分のことのように自慢げに話すが、エスパーと言っても実際どれだけなのだろうか。

そんな俺を察したのか、フォル元帥はにっこり笑う。

「まぁ、見てなさい」

元帥は右腕を静かに上げる、ふわりと風が撫でた。

その風は次第に強くなっていく。

そして、まるで陽炎のような何かが両者の元へ飛び出す。

すると、決闘に夢中だった両者は不可視の力によって地面に叩きつけられる。

一体何事か。

「両者、そこまで」

「っ……元帥」

大将は立ち上がろうと地面に手をつくが、不可視の力によってびくとも出来ない。

隊長はなんとか手と片膝を地面につけながら、顔を歪めている。

それでも立ち上がろうと、抵抗しながら隊長は刀を何とか地面に突き立てる。

それも虚しく、刀はカタカタと音を立てて地面にさらに深く刺さった。

「ぐっ……サイコキネシスか……っ」

彼女は、レイトをぎろりと睨む。

それはこの短い出会いまでの間では、見たことないような殺意が篭っていた。

それに俺は思わず短い悲鳴を漏らす。

「もういいだろう?久しぶりに楽しめたか?」

彼はそれに苦笑いをして答えて見せた。

「まだだッ……これからもっと……」

「これ以上はシスコンに怒られるぞ?」

レイトは困ったという風に笑った、すると隊長の殺意が一気に削がれる。

「……興が冷めた」

「ふむ。両者、素晴らしい手合わせであった」

元帥は腕を下ろすと、両者にかかっていた陽炎のような力が消えた。

周りの野次馬達は、立ち上がる二人に拍手やら雄叫びをかけ、盛り上がっている。

隊長は素早くこちらに、ズンズンと戻ってくるとレイトに突っかかる。

先程まで着ていたはずの首から膝まですっぽりと隠していたロングコートはいつの間に脱いだのだろうか。 

所々砂埃や切り傷で汚れているが、表情に変化はない。

痛くないのだろうか。

「銀狼殿っ!」

そこにメタノイヤ大将が得物を鞘にしまい、駆け寄った。

「此度の手合わせ、大変勉強になりました」

大将は優しく笑いながら、その手には隊長のコートを持っていた。

するりと差し出したコートは丁寧に畳まれている。

「己の未熟さ故に、貴公の相手が務まらなかったことは私の非であります故。どうか主に当らないでください」

大将は腕を深く斬られたのか、音を立てながら滴る血が地面に跡を残していた。

他にも足や肩、腹にも大小の刀傷が見られる。

その姿は隊長と比べるとこちらの方が痛々しかった。

それでも大将は、敵だったはずの隊長に笑顔を向けた。

「……貴殿に一つ忠告しよう。私のことを次相見えた時、『銀狼』と呼ぼうものなら。本気で首を取らせて貰おう」

「ぎっ…………アモル殿」

彼女は大将の手にあったコートを奪い取ると、レイトから手を離しそれを身につける。

「それは無礼を働いた。次からは気をつけよう」

「…………貴殿、中々いい筋をしていた。久方ぶりに楽しめた」

そして鞘に刀を音もなくおさめ、剣帯にそれをさす。

「是非再び手合わせ願いたい、次こそ、我が全ての剣術を披露しよう」

「それは真にございますか。確かにこのメタノイヤ、言質を取りましたぞ」

メタノイヤ大将は、少し驚いたように目を開くがすぐにふわりと笑う、それはとても優しく作り笑いとはほど遠い。

だが隊長は、不敵に笑うとコートを翻した。

「………それが戦場にならないことを願うばかりだがな」

そして一人何処かへ歩いていく。

「おい、どこ行くんだよ」

「お兄ちゃんに報告しないといけないからね」

「なっ……お前告げ口するつもりかっ!」

「先に失礼する、別にお前を護衛しても楽しくもないからな」

アモル隊長はこちらを振り返ることなく、手をひらりと振る。

 一瞬花の香りが鼻を掠めた、そして強風が襲う。

前を見ると隊長はもうそこには居らず空を優雅に飛んでいた。

その翼は、まさに天使を象徴する純白の白い翼。

自由に飛ぶその姿に、俺は思わず遥か遠くの隊長に手を伸ばし、握りしめた。

そしてこの短時間に起こった出来事を思い出す、胸の高鳴りがとまらない。

御伽噺は、夢はそこに存在したのだと。