アヴェスター 第二章
少年は言った。
空に惹かれる、何故かあの青い空が懐かしい、と。
白い少年は、なんとも悲しげな表情で掴めるはずもない雲を握りしめた。
なんでそんなこというんだ、と問えば。
自分が今ここに居なければ、『家族』を護れただろうに、と笑った。
どこまでも白い彼は、偽りの『家族』のためにどこまでも悲しげに笑った。
まるで太陽のような彼は。
まるで夜のような自分には、眩しすぎて。
だからだろうか、この頬を濡らすのは。
金の草原を走り抜ける風が俺達を笑うようだ。
彼はおそらく遠い、人間には遠いとこに行ってしまうのだろう。
それは腹が立つほど腑に落ちた、同時に泣きたくなるほど、行くなと叫びたかった。
違うのだ。
決してこんな終わりを求めていたのではない。
違うんだ。
どうか、本当に神様がいるならば。
我らが過ちを許してくだい。
どうか。
彼を連れていかないでください。
神よ。
どうかーーーーー。
「両者決まったな」
元帥は空になったカップを机に置いた。
するとそれが合図になったのか、ズルリと客人は滑り落ちる。
「はあぁぁぁぁぁぁ……やっとかぁぁ……」
張り詰めた緊張がぶつりと切れたと思うと、ふにゃりと笑う彼は手を差し出した。
「まだ、君の名前を聞いていなかったな」
「……バーナー=ジュリアスと言います」
俺はその手をしっかりと握る。
彼の手は柔らかくなく、硬くもなかったが、所々ゴツゴツしていて傷も目立つ。
はて、皇子と聞いたのだからてっきりまっさらな手をしているものと思っていたのだが。
あまり長く握っているのも失礼なので、早々に手を離す。
同じように零も彼の手を握る。
「夜月 零と申します」
「おう、よろしくさん」
零も俺と同じ考えに至ったのか、顔をしかめる。
武人のような手だが、得物を使っているような手ではない。
素手を得意とするような手だ、だがそのわりにはさらりとしていた。
言うなれば、昔そうであったが今はそうでないために戻ってしまったと言おうか。
彼はそんな俺達の考えに気づくことなく、零から手を離した。
「そうと決まれば早速準備だなっ!それから歓迎会も催さなきゃなぁ、宴会は人数が多いほうが楽しいからな、多いに越したことはないだろう」
「気が早いぞレイト」
「当たり前だフォル、新しい仲間だっ!歓迎こそすれど追い返すなんざとんでもない!大歓迎だ!」
フォル元帥は懐かしむように隣で楽しむ彼を見つめる。
「質問、よろしいでしょうか」
「零、なんだ?」
「何故我々二人が選ばれたのですか?」
「あぁ、それについてはアモルに聞いてくれ。人選はあいつがした、珍しく頑なだったからな」
そう言われ、俺達は彼女を見つめた。
彼女は先程見た時からピクリとも動いておらず、そして今現在も。
「……アモル」
「…………」
「……チビ、もういいだろう。だいたいいつまで不貞腐れてるんだ、お前はガキか」
彼女はゆっくりと開いた左目で彼を睨みつけた。
断じてそれは主人に向けていいような殺意じゃないと思う。
するとため息一つ、驚きの口調であった。
「……だいたい私はお前に、仕様がなく、今日はついてきてやったんだぞクソマフラー。本当は今日アテナ様支持下による都防衛部隊との演習日で、こんなとこでただ話してる場合じゃねぇんだよ」
「はいはい、正直に楽しみにしてたのに、と言えばまだ可愛いものを……」
「可愛くなくて結構、それとも可愛くなればいってもよかったのか?えぇ?」
零唖然である。
先程まで主に対して敬意をもった口調だったのにたいし、今もう、年相応の女の子というか、何とも言えない。
「わかったわかった、わかったから。質問に答えてやれ」
「……私はアモルだ。お前達の配属先の部隊長を務めている。要は上司だ」
彼女は胸をはる。
何も無かった、確かに、胸をはっている。
だが何もなかった、何も感じなかった。
彼女は本当に胸をはっているのか。
存在するべきものが、ないと言うか。
寂しいというか。
「お前達二人は出身地が同じだろう、実はあそこには想い入れがあってな。どうせ人間を部隊に入れるなら、自分が安心できる要素が欲しくてな」
「…………それ、だけですか?」
「ん?あぁ、確か零とやらは学問主席で、お前は剣術次席だっけ?」
「はい」
「まぁ、それだけだろう?」
「……へ?」
「訓練でどれだけ良い成績をだそうが関係ない。実戦で実力を発揮できないなら所詮そこまで、戦場を知らん奴が実力を十分に発揮できないのは目に見えているし、そもそも戦場を知らない兵など駒にもならん」
彼女は実に淡々と、冷たくすらすらと言い放った。
「まぁだか安心しろ。「暗部」に入るならそうはいかん、我が隊に使えない者はいない。お前達を無事実戦出来るようにさせ、かつ生きて帰らせるのが私の教育方針だ。我が部隊に入るからには死ぬなど以ての外だ、死ぬぐらいなら違う部隊に移って貰おう」
「……という訳でお前達は選ばれたと」
後半は理由と言うより半分罵られ感があったのだが。
「安心しろ、私は強いぞ!」
えへんと腰に両手をおいた彼女からは、年相応の女の子を感じた。
強そうとは欠片も感じない。
「レイト、この二人どうするんだ?」
「三日間準備期間として与えたい、ついでに天界についての資料を後日、うちの奴に届けさせるから」
「わかった……して、レイト」
「なんだ?」
「うちの部下をお前に預けるわけだが」
「…………フォル、まさか」
「これでも俺の部下だからな、安心できる保証が欲しい」
するとメタノイヤ大将が、厨房から帰ってきたらしい。
お盆に人数分の紅茶、それからケーキを乗せている。
綺麗な所作でひとりひとりの手前にそれを置いていく。
「……そうだな。うちのメタノイヤとその部隊長様との死合を望む」
「…………正気かフォル」
「あぁ、命を預けるに相応しいか。最終試験と洒落こもうか」
元帥は目の前にきた紅茶のカップを口にした、まるで笑を隠すように。
それはまるで悪者のようで、悪戯をする子供のような無邪気な目をしていた。
「ということだメタノイヤ」
「何でしょう?」
「そこにいる『銀狼』と死合をしろ」
『銀狼』という固有名詞に、隊長はピクリと反応した。
それは大将も同じで、一瞬アモル隊長に目を配ると顔をしかめる。
だがそれも一瞬、何事もなかったように笑う。
「死合、ですか……久方ぶりですが」
「問題ない、手加減して死ぬのはこちらだ」
「…………承知しました」
「決まりだな」
レイトさんは、じろりとフォル元帥を睨む。
呆れたような、めんどくさいといった顔つきでため息をつく。
「おいフォル、お前なぁ……」
「いいじゃないか、お前らしくもない。君もいいだろう?隊長さん?」
元帥はアモル隊長を見ることなくケーキをつつく。
苺をフォークで口に運び、一口で平らげた。
彼女は沈黙を貫いた。
その沈黙を是ととったのか、元帥はフォークを置いた。
「それじゃあ、実力を拝見させて貰おう」
そして、今度こそ悪戯に成功した、といった子供のようにふわりと笑った。
目の前の客人は、本日何度目かも分からないため息をついた。
皇子などという欠片は少しも感じさせない振る舞いで、よくよく見れば服装もそれほど華美ではなく、マフラーを除けばそこらの服屋にでも売っているだろう代物ばかり。
暗い橙色のような半袖のカーディガンに、黒いタンクトップを中に着ている。
下はジーンズに膝からしたは茶色のブーツといった、街で見かけそうなラフな格好だ。
そんな彼は、目の前の楽しそうな元帥を恨めしげにじっと見つめている。
そして再びため息をついた。
「いいか二人共、しっかりとこれから上司となる奴の実力を見ておけよ。お前達の命を預けるんだからな」
「お前楽しんでるだろフォル」
「はて、何のことやら」
元帥は楽しくてたまらないといった風に軽やかに弾む足取りでレイトさんの隣に並ぶ。
ここは屋外の修練場、学校でいうグラウンドのような広さのそれは、ある穿たれたような一箇所を除いて人が溢れかえっていた。
やれ大将に賭けるやら、やれ客人に賭けると賭け事の一種まで聞こえてくる。
「………この野次馬の数だっ!」
レイトさんは、マフラーを翻し集まった野次馬達を指さす。
どうやら、『メタノイヤ大将とフォル元帥の友人である客人の、腕の立つ護衛が真剣をもって取っ組む』という名目を聞かされ、支部中の兵が我先にとなだれ込んで来た結果らしい。
もちろん天界の使者だということは伏せられて。
俺は苦笑いが漏れるしかなかった。
「こんなに早く情報が流れる筈がないっ!」
わなわなと手を震わせ、唇を噛むレイトさんは何度目かも分からない、フォル元帥をこれでもかと睨んだ。
「まぁまぁ、偶には息抜きも必要だろう?」
レイトさんを見ることなく、元帥は静かに右手を挙げた。
すると、先程まで騒いでいた野次馬たちは面白いほど一瞬で静まりかえる。
武人ではあるが前提として一介の兵、元帥の行動は絶対である。
「これより、メタノイヤ大将と……、ふむ、何といったものか」
「……どうぞお好きなように」
「そうか、では。これよりメタノイヤ大将とアモル隊長による真剣による試合を始める。両者、己の命をかけること。良い、と言うまで止めないこと。これが条件である」
大将は一歩前にでると、左手に得物を持ったまま揖をする。
「手合わせ、お頼み申す」
変わって、隊長は得物は腰に下げたままその場で左膝を地面につけ、右足は立てたままの状態で礼をした。
これがおそらく天界の儀礼なのだろう。
「お願い致す」
彼女は静かに立ち上がると、柄に手を伸ばした。
そして、その柄に手を握らせた瞬間。
彼女を中心とした殺意の波が広がった気がした。
その場全ての人間が鳥肌たったことだろう。
それに帯刀していた兵は武器を抜き、していないものは身構える。
まだ抜刀すらしていない彼女は、元帥とメタノイヤ大将、それからレイトさん以外の全ての者を一瞬でその気にさせたのだ。
かく言う俺もその一人で、冷たい何かが背中から這い上がる感覚にひやりと額に汗をかく。
彼女は表情一つ変えることなく、ただ一人の敵を見ていた。
こんな少女ができるような目ではない。
これは数多の戦場をかけた猛者の色だ。
俺の知っている年相応の女の子は、恋に眩み、己を着飾る、決してこんな。
こんな表情ができるわけがなかった。
平和とはほど遠い彼女は、まるでこの世の摂理を知っているように寂しい目だった。
大将はそれを知ってか、わざとか、己が得物に手をかけた。
空気が殺意と緊張をはらみ、まさに一触即発。
この場にいる者が二人に釘付けになっていた。
俺は自分より小さな女の子が、己より優れていることをすぐに理解し、それを悲しく思ったのと同時に強く好奇心を引き立てた。
己より優れている少女は、果たしてどこまで強く、どこまで忠義を尽くすに値する上司なのかを。
分かってしまうと先程感じた悲しみはどこへやら、今か今かとその始まりをみるために目を見張る。
先に動いたのは大将だ、自慢の得物を鞘から音高く抜き、隊長へと走り出す。
彼女はするりと静かに、それでいて優雅に得物を抜刀した。
両者の得物は同じ刀、大将は太刀、隊長は打刀より長く太刀とは言えない細い線の刀だ。
大将は剣の間合いに入ると下段の構えをとり、そこから斜めに切り上げるように力強く振り上げた。
太刀筋は見えないことはないが、やはり大将。
素早く力強いそれに、思わず野次馬たちは感嘆の声を漏らす。
だが少女はいとも容易く、重心を変えるだけで躱してしまう。
それを大将の剣は隊長を追うように振りかざす。
彼女は、一振り、また一振りを軽々と最低限の移動で全てをひらりと躱す様はまるで、胡蝶が舞うように流れ、大将も舞をするようにひらりひらりと得物を振るう。
優雅な剣舞に兵たちは、やれ美しいだの騒ぎ始める。
隣にいた皇子はほっ、と安堵のため息を漏らした。
「本気を出す気は更々なさそうだ……。彼奴が本気になったら経費が怖い、修理費、人件費、謝罪費…………」
皇子はぶつぶつとマフラーに顔を埋めて何やら呪文のようにつぶやく様に思わず笑った。
さて、どうしたものか。
私は目の前の『大将』と呼ばれる敵をひらひらと避ける。
こんな見世物のような決闘、やる気も何も湧いてこない。
かと言って適当にかわせば、何やら後が五月蝿そうだ。
どうせならもっとやり甲斐のある『大将』であったなら、今日の憂さ晴らしができたものを。
そう、今日の天界で行われる演習を私は実に楽しみにしてきた。
大好きなチーズケーキを我慢し、大好きな昼寝もせず、今日の日の為に私は書類の山を片付けたといっても過言ではない。
なのに、この仕打ちだ。
こいつに八つ当たりした所ですぐ終わってしまうだろう。
だから最初にほんの少し、相手を牽制して、あわよくばそのまま終わることを望んだのだが、中々肝が座っているのか、それともただ鈍感なのか、周りの野次馬共が反応したことに内心舌打ちした。
私はとりあえず、相手の剣を避けつつ太刀筋を読み、適当に撃ち合い、適当に終わらせることを考えていた。
「どうやら貴公は考える余裕がおありらしい」
目の前の男は、確実に「殺し」にくるような一撃一撃を繰り出しながら私に話しかける。
お前も話しかける余裕があるではないか。
「……貴殿も随分手加減しているようで」
「貴公が一向に撃ち合ってくれそうにもないのでな。なに、貴公の実力は存じ上げている」
「ほう。戦場でお相手でもしたことがあったのだろうか、申し訳ないが余りに足を運んだ数が多く、あまり貴殿を覚えていないのだが」
「いえ、そうではない。『銀狼』としての実力のことである」
私はその言葉に思わず、左から流れてくる刀を本気で弾き返した。
火花が散り、それは頬を軽く焦がして消える。
野次馬たちがどっと騒ぎ立てる。
相手は強く踏みとどまると、今度は八相の構えをとった。
「なに、有名な『銀狼』を知らぬ軍の古株はおらんよ。手合わせできるとは、一介の剣士として嬉しいことはない。得物一つ、体一つで東の大帝国を……」
「乗った」
「は」
「興が乗った」
私は愛刀をしっかり握り直した。
「貴殿のお相手を致そう。しかし若輩者であるために、その命貰ろうてしてしまうかも知れぬが、ご覚悟を」