失楽園 第一章 第三節

「ねえ、覚えてる?」

青いドレスがゆらゆらと誘っている。

ベージュのカーテンの中にいる少女の顔は絶妙に見えない。

「この部屋」

少女の口が何やら言葉を続けたらしいが全く聞こえなかった。

俺はもどかしくなり一歩踏み出す。

そうして静かに首は落ちた、何もなく、ただ落ちた。

転がり、周り、俺の足元で、彼女の顔が。

 

 

 

 

「はあ.....っぁは....は...........はぁ...うぐ」

滴る汗が拳に落ちた、どうやら相当魘されたと見える。

冬の空気の冷たさが肌を震わせた、部屋はすっかり暗く影が落ちている。

辺りを見舞わす、植木鉢、暖炉、なるほどここは自分の部屋だ。

「起きたか、ルクス」

「騎士長....」

「何を伏せることがあるのだ」

部屋に入ってきた人物を見ては直ぐに目を逸らした。

顔に刀傷が数箇所ある俺の憧れの人だ。

「目の前の敵には指ですら触れられなかったのです....。生きていることに悲観はしていません、ただ.....」

「相変わらずお前は真面目で堅い」

そう言って騎士長は俺の頭に手を置いた。

数回頭を手が跳ねる、そうして騎士長はベッド脇の椅子に腰掛けた。

「お前が来てから八年、戦争も始まって八年、そしてこの戦争が動き出したのも八年か....因果を感じぜらる負えないな」

「騎士長、俺が交戦した天使の情報を」

「ああ、その為にお前は生き残った、話せ」

「はい。奴は確実に最上位の天使です、自らミカエルと名乗ったので間違いはないかと思います」

「ミカエル.....天使の中で最強の神性を持つ天使の長か」

「それに上位階級第二位智天使ケルビムの出現も確認されたと聞いています」

「それはこちらも確認済みだ、そして我らの調査によって詳しい情報を得られた」

「機密事項でなければ教えていただきたい」

「勿論だ、お前も一度は聞いたことはあるだろう。智天使の正体は、かの有名な『銀狼』だ」

「なっ.....『銀狼』....今は亡きかの大帝国をたった一人で戦争に挑み五師団を殲滅し大帝国を陥落させたと言われる人類史最凶の殺人鬼.....」

「そう、そして一度は世界を救った英雄の一人。武術の達人にして刀の使い手、その太刀筋は美しく滑るようで華麗、見とれる間に死ぬという」

熾天使以上の実力.....ですが、『銀狼』ともなれば多くの情報があると思います。対策会議の予定は?」

「丁度明日の早朝に予定している」

「騎士長、自分にもその会議の出席許可を」

「.....良いだろう」

「ありがとうございます」

一通り話終わり騎士長は一息吐こうと紅茶を入れてくれた。

ティーカップから漂う落ち着いた匂いが、生きて帰ってきたのだという実感を深めた。

彼は暖炉に薪をくべた、ぱちぱちと燃える音が心地よい。

騎士長は再び椅子に座るかと思ったが、俺から視線を外さない。

「ルクス、お前は.....」

そう口を開いた彼は一度閉じた、何かを咀嚼し、躊躇っている。

「....これから戦争は激化していくだろう、それでもお前は『戦士』として死ぬを誉れとするか。今ならまだ普通の少年のように、誰も責めはしないだろう」

騎士長の揺れる瞳は、美しい青だ。

そうだった、彼はどうしようもなく優しい心の持ち主なのだった。

その目からは、俺にもう「悪魔憑き」として戦場にたって欲しくないのだろうことが安易に汲み取れた。

「愚問ですよ騎士長、俺は貴方に拾って頂いたあの瞬間から、いえ、我が故郷が天に滅ぼされた時から心は決まっているのですから」

「そうか…もう八年か」

「はい、八年前帝国の隣国であった我が故郷の王国がこの戦争の見せしめのように、初めての戦場とかし滅びました。自分は王国の王子でした、それが幸いしたがために一人生き残ってしまった自分に貴方は道を示してくれた」

「だが、我が騎士団は天使と対抗するための力を得るために禁忌に手を出した。悪魔と契約することで同等の力を得るために。そして世界のためではなく、己の帝国を守るがため身勝手に。いずれ我らは報いを受けるだろう、それをお前に背負わしたくはないのだ」

「はは、騎士長。俺は契約していようがいまいが、いずれ己の憎悪によって身を焦がすでしょう。あいつらだけは」

そう、彼女の全てを奪っていった、憎き創造主だけは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八年前

「ルクス様」

「.......ああ、リュミエール

「お茶をお持ちしました」

「ありがとう......」

「ふふ」

俺は何故笑われたのかわからず、自然とムッとした顔で彼女をみた。

「.....なんだよ」

「いえ、本当にルクス様は勤勉で真面目ですね」

「嫌味かリュミエール....」

彼女は暖かな冬の陽光に包まれた部屋の揺り椅子に腰掛けた。

ふわりと青いドレスは揺れ、白い足首が晒せれる。

「兄様達は剣術に夢中だ。俺は兄弟で一番の末っ子だからな、剣術の師匠を譲ってくれないし、こうして自分で学べるのは学だけだ」

「ですがそれでも最も優れた剣士は貴方様だと父君が仰っていましたではありませんか」

「どうだかな....あと、リュミエールその口調、どうした、本当に姫君みたいだぞ」

俺はいれてくれた紅茶を口に運ぶ、ダージリンのいい香りが鼻をくすぐった。

リュミエールはクスリと笑う、それは悪戯に成功した顔だ。

「もうすぐ十六歳、成人した日に私達は籍を入れるのです。その時王国の領地の一角を所領として貴方が治めるのだから、その威厳を私が損なわないようにと練習していたのですよルクス」

「....お前はそのままでも充分姫様だがな」

「あら、これでも巫女の姫様ですものね」

そうして二人で笑った。

 

 

彼女との出会いはそれは小さな時に、王宮の片隅で出会った。

彼女は代々我が王家に使える巫女の一族で天に祈りを捧げることで力を得るのだという。

それは輝かしいだろう、だが彼女は泣いていた。

部屋の隅で蹲っていた、目は泣いて真っ赤に腫れ、綺麗な黒い髪はぐしゃぐしゃだった。

彼女に問うた、何故泣いているのか。

姉様たちに意地悪をされたのだと、見れば髪だけでない、ドレスもボロボロだ。

これではルクス様に会えない、そうとも言った。

彼女は顔をあげることなく、背を向けてただ泣いていた。

それは自分も同じ境遇だった、先程自分も兄様達に勉学の本をボロボロにされた、だからいつものこの場所で落ち着こうかと思っていたら先客がいたのだ。

「名前を聞いても?」

リュミエール

リュミエール、君が言うルクス様は、その、きっとこんな君でも大丈夫、会ってくれるさ」

そう言って俺は彼女と同じ視線まで腰を下ろした。

「君はきっと、誰よりも心の美しく優しい人になる.......と思う」

この言葉が彼女を振り向かせた。

俺はその時みた、彼女の瞳の色に恋をした。

 

 

俺は本を閉じる、今日は確か父上に隣国の帝国が謁見に来るため同席しなければならなかったはずだ。

リュミエール、そろそろ時間だから離宮を出ないと....」

俺はこれから知る、絶望と憎悪に身を焦がす出来事が今迫っていることに。

今日この瞬間、彼女の運命が狂ったのだ。

その時、大きな地鳴りと、窓の外から見える街から爆煙が上がるのが見えた。

そしてそれを元に次々と爆発が起こる。

「な、何事です!?」

リュミエール、『祝福』を頼む!!」

俺は部屋の済に立てかけてあった、成人する祝いにと貰った剣を手に取った。

「は、はい」

彼女は俺の足元で膝をつき、祈るように手を合わせた。

聖なるかな聖なるかな。主よこの者に祝福を与え給え』

彼女は神に祈ることで聖なる力を得られる、それで彼女は戦うのだ、祈る神によって祝福には違いが生じる、例えば天空神ゼウスからは雷の力が、太陽神アポロンに祈れば炎の力が得られる。

その聖なる力を他人に付与することも可能なのだそうだ。

『天上の神々よ、この者に祝福を』

彼女は最後の祝詞を口にしてからは微動だにせず、眉を寄せていた。

リュミエール....?」

「.....声が、聞こえ....ない...聞こえないの.....神々の声が聞こえない.....」

「は、はあ?」

その時、爆風が窓を襲った。

割れた窓ガラスが彼女を襲いかかる、それを俺は覆いかぶさって守った。

いくつかの破片が背中に突き刺さり思わず顔を歪ませた、だが彼女にはバレずにすんだらしい。

「.......とりあえず、ここは移動しよう。父上たちが心配だ」

「....そうね....離宮をでましょう。情報を得なきゃ」

「ああ、俺から離れるなよ」

俺はリュミエールの手をしっかりと握った。

その手は震えていて弱々しかった、俺はしっかりと、こぼれないように。

ゆっくりと部屋の扉を開けた。

そこは血に塗れていた、もはや原型をとどめぬ人であったものがゴロゴロ転がっている。

そこには兄様であったものも無残に転がっていた、リュミエールの姉たちも。

俺達はなるべく下を見ないように歩き、王宮に繋がる廊下で一度足を止めた。

「ルクス....」

「なんだ?」

「こんなの....人間の所業じゃないわ...こんな...人を人とは思わぬ殺し方....酷いわ...」

「そう....だな......」

その時王座の方で爆音が聞こえた。

俺達は顔を見合わせると走り出した、一心不乱になって辿り着いた時にはそこはまさに地獄であった。

王座は壁ごと破壊されて外の街の情景が丸見えだ。

俺はゆっくり床についた血の跡を目で追っかける、その先にあるものは。

父上が、天井に吊るされていた。

首は薄皮一枚で漸く繋がっている、今にも引きちぎれそうだ、胸には大穴が穿たれていてそれはまさに人の所業ではない。

俺は漏れる嗚咽を手で押さえつけた、零れそうになる涙に目を見開く。

「そ、んな.....父、上......」

「陛下.....酷い、こんなの....」

刹那、外で眩い光の柱が時計塔を照らしたのが見えた。

俺はこれ以上何が起こるのだと思い、走ってむき出しの外壁まで近づいた。

外には天使たちが空を埋めつくしていた、夕方に飛び回る鳥のようであった。

「聞け!!!人間達よ!!!!!」

すると時計塔の上に居座っている何かが叫んだ。

「刮目せよ!!貴様等は道を誤った!!!神々の恩恵は消え去った!!神罰が下った!!!!」

そうして高々と腰の剣を抜き、天に掲げた。

「我が名はヒュペリオン!!!天は人間という種を排他することに決定した!!!これは宣戦布告である、いや死刑宣告である!!!!」

その言葉で天使たちは血気盛んに飛び回り、雄叫びをあげ、矢を放ち、歓喜していた。

「人間達よ、刮目せよ。貴様等の死を、圧倒的なまでの殺戮の嵐を、最後まで無様に足掻くがいい。ゼウスの愛し子達」

そうして街は戦火に飲み込まれた、これを地獄と言わず何という。

止まない叫び声に振り続ける血飛沫、絶えない剣戟の音、銃声、爆音。

「逃げるぞ、リュミエール

「ルクス!!ここで民を捨てるのですか!?立ち向かいましょう、これは何かの間違いです、ゼウス様は人間を愛していらっしゃいます!」

「ならばこれを早く止めてくれるだろう!?」

「.....それ、は....」

「ごめん.....言いすぎた。とりあえず、隣の帝国に逃げよう、あそこの騎士団の長には世話になったことがあるからきっと話を聞いてくれるはずだ」

そういって俺達は民を捨てた。

きっとどうにかなると歩き出した。

それは長い時間歩いて築けば街ぼ外に出ていた、どうやって来たかは定かではない。

「これは、随分舐められたものだ」

その一言でハッと我に帰った、目の前はすでに天使達に囲まれていた。

「人間二人が、堂々と外を歩いてやがる」

天使たちからはどっと笑いが起こり、各々武器を手にとった。

「走るぞリュミエールっ!!!!」

「はいっ!」

俺は彼女の手を左手で握って、右手の剣で敵を斬り払った。

軽々とよけられたものの、できた隙間に滑り込み走り出した。

「逃がすな殺せぇ!!!」

目の前の国境沿いの森に飛び込み、道無き道を走り抜ける、聞こえる罵声と笑い声を頼りに逃げ回った。

もはや自分たちが何処にいるかもわからない、だがそんなこと考える余裕もない。

いつしか雨が降り始め、足元はぬかるみ、バシャバシャと泥が飛び散る。

「はあっはっ....ぁっ....はっ....!!」

「はっ、ぁ、はぁ、っ、きゃあっ!!」

「っリュミエール!!」

そんな時リュミエールは足を滑らせ、俺の手から滑り落ちた。

足を止め、すぐさま駆けつけた。

「あっはあ、っは........大丈夫かリュミエールっ」

「.....ルクス、私を置いて、お逃げなさい」

「!?何馬鹿なことを言ってんだっ!!大丈夫だ、もうすぐ国境にはいる、だから....!」

「いいえ、きっと私は貴方の足で纏いになります、私もあとでちゃんと追いかけますから」

「大丈夫だ!!しっかり守っていける、俺はお前を守るその為に今まで剣を握ってきたんだ!!」

「お願い、ルクス....」

「っ!!嫌だ!!俺は、お前と生きたい!!!俺はお前と居なきゃ、一緒に歩かなきゃ、笑わなきゃ、とてもじゃないが、生きられない....!!」

「ルクス、それは私もよ」

「なら二人で行こうっそんなこと言わないでくれ!!!」

俺は子供のように喚いた、膝を地につけ、彼女の泥だらけの手をとった。

折角の綺麗な青いドレスは台無しだ、彼女の艶やかな黒い髪に、宝石のような瞳にとても似合っていたのに。

それなのに。

目の前で彼女の命が弾ける音が聞こえた。

「ル、クス」

「人間風情が走り回りやがって....」

周囲には天使たちが武器を手に立っていた。

俺はそれをただ呆然と見るしかできなかった。

だって、もう理由がない。

『光、よ』

目の前は光で覆われ、俺も逝くのだと思って目をつぶった。

彼女との思い出を思い出しながら逝けば怖くはない、彼女と死ねるなら本望だ。

「ルクス」

「......リュミエール....?」

「ごめんなさい....先に逝く私を、どうか憎んで」

彼女の冷たい手が俺の頬を撫で、血の跡を作った。

「私は貴方を、立派な王にする為に、貴方の巫女になったのに、気づいたら恋に落ちてた」

頬を滑るように髪を撫で、頭を撫でた。

「でも....ダメね.....私.....」

そうして力無く落ちた手は俺の膝の上に。

「っ.....」

彼女を見ていたい、触りたい、なのに涙が溢れて止まらない。

「貴方に、まだ、言えてないことがあるのに」

リュミエール....リュミ...」

その時、冷たいものが唇に触れた、言葉は紡ぐめず、嗚咽もでない。

そうして離れた顔には笑顔が溢れていた。

『かの、者に....、祝福を、我が、しゅ、くふ...く、を........』

そういって最後の力を振り絞るように伸ばした手は俺の胸に止まった。

「あい、してる」

「っリュミエール!!!」

俺は手取ろうとしたものの光が俺の邪魔をする。

「しにたくない」

彼女はその言葉を笑顔で、掠れる声で囁いた。

それが彼女の最後の言葉だった。

 

周りを覆っていた光は消え失せ、雨が俺を打ち付けるばかりであった。

先程まで居たはずの彼女は何処にもいなかった、代わりに光が浮かんでいて、ふよふよとまっすぐ俺の胸の中に入って消えた。

そうして一枚の花びらが俺の膝に舞い落ちる。

リュミエールはこの世からいなくなった、骨の一つも残すことなく、元々存在していなかったように跡形もなく。

彼女は最後に死にたくないと言った、彼女は死にたくなかったのだ、それは怖かっただろう、嫌だっただろう、悔しかっただろう、痛かっただろう、生きたかっただろう。

きっとやりたいこともあった、夢もあった、未来があった。

彼女の手は震えていた、怖かったのに置いていけといった、死にたくなかったのに覚悟を決めた。

こいつ等が、こいつ等がこいつ等がこいつ等がこいつ等がこいつ等が。

リュミエールの人生を、奪った。

「お前らがあああああああああああああああああああああああああッッッッッ!!!!!」

俺は今にも切りかかる直前の天使の心臓に剣を突き刺した。

溢れ出た血飛沫が俺の顔全面を塗らす。

左目に入った返り血が使い物にならなくさせたが、関係ない。

剣を抜き取り、振り回し、隣の奴の腕を切り落とす。

そしてもがき苦しむそいつの眉間に剣を突き立てる。

背後から切りつけられる、だが。

リュミエールは、もっと痛かった」

俺は剣を背後の奴に投げつけた。

地面で苦しむ奴に馬乗りになり、殴り続けた。

「殺す!殺す!殺す!殺す!殺す!殺す!殺す!殺す!」

「あっがっやめ、たすけ、ぐあっ」

「もっと痛かった苦しかった怖かった叫びたかった生きたかった助けを乞うても殺した癖に!!お前なんかより、リュミエールはもっと生きたかったッ!!!!!だから死ね!!!苦しんで死ね!!もがいて死ね!!!自分を呪って死ね!!!」

俺は殴り続けた、拳から血が出ても、奴が動かなくなっても、ぐちゃぐちゃになっても殴り続けた。

「はあ......はあ.......は.......」

それは春の先の、俺の憎悪の始まりだった。

失楽園 第一章 第二節

それは圧倒的な絶望だった。

例えるならば目の前で巨人が見下ろしているが如く、敵は高く威圧的であったのだ。

目が掠れているのはきっと出血によるものだと信じたい。

初めて抗いようのない形をした「死」にであったのだから。

「俺も暇ではない、名乗ったからにはきっちりと始末させて貰う」

巨人はどうなっているのか、翼をまるで空気に溶けていくように消した。

おもむろに胸ポケットから煙草の箱を取り出し、一服し始めた。

「死刑宣告.....だって....ことかよ」

俺はポツリと言葉を漏らすと自然と口の端が釣り上がるのを感じた。

口の中の血を奴のブーツに吐きつけ、震える手で愛剣を手にとった。

「ふうぅ........やはり親父の真似事で煙草なぞ吸うものではないな」

そして剣を杖にノロノロと立ち上がる。

ああ、目の前の「死」は酷く穏やかで優しく感じる、委ねてしまえばなんて楽なのだろうか。

だが、思い出せ。

あの日の憎悪は今も腹で煮えているだろう。

俺が身を委ねたのは天使ではない。

「....いい目をする、惜しいものだ」

彼は俺を見ると咥えていた煙草を吐き捨て、コートの内側からなんてことはない短剣を取り出した。

「安心しろ。魂は循環する、お前の肉体が死しても魂は天にて回収されまた新たな生を得る。それはこの世界の摂理だ、それは平等でなければならない」

短剣を煉瓦造りの道路に突き刺し、片膝をついて手を合わせた。

そうそれはまるで、教会の信者共が神に祈りを日がな一日捧げるかのような。

聖なるかな聖なるかな。主よ、彼の者に祝福を与え給う』

それがこの上なく頭にきた。

「貴様っ.....馬鹿に、するなああああああああああああああッ!!!!!!」

俺は負傷していることなぞ気にもとめず、足が地面を抉るほど、奴目がけて突進した。

『汝に太陽神アポロンと天空神ゼウスの御加護があらんことを』

その突撃していく中で見た奴の顔は、笑っていた。

勝利の笑み、絶対なる自信から来るあの表情で俺は剣の動きを鈍らせた。

『寛大たる御心使いにて彼の御霊を救い給え』

そして奴は凄まじい速さで短剣を手に取り、俺の太刀筋を滑らせた。

行き場のない剣は地面を抉る。

『我が主に願い上げ奉り候。我に力を、我に名を与え給え』

直ぐに体制を立て直し、距離を置くため後ろに飛び退く。

そして俺はこの奴の言葉に違和感を覚えた、これは俺を馬鹿にするためではない、馬鹿にするには長い祈りだ、だとするならばこれは。

「詠唱かッ.......!!」

すぐさま俺は下段に剣を構え奴を斬りつける、だがどうしたものか光の霧が俺の剣戟を吸い込んだ。

『我が名はインセット、天名をミカエル。汝、我が天秤にかけられたり』

光の霧が俺にまとわりつき離れない、遂には光は増していき視界を埋めつくした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこは白い世界だった。

どこを見ても白、白、白。

そこには何もなかった、生き物が存在する余儀はない「無」の境地。

あるいは彼岸というべき場所だった。

「客人は、初めてかな」

背後からの声に俺はすぐさま剣を構えた。

先程まで相手にしていた天使がいないのだ。

「なに、君に危害は加えない。というより加えられない」

声を辿り見た光景に、息を飲んだ。

そこには立派な王座があり、一人の青年が腰掛けている。

だが青年は鎖に縛りつけられ、鎖に貫かれていた、その鎖は王座にへばりつき、地面から生える茨のようだ。

「警戒しないでくれ、なんたって八年ぶりの人だ」

彼を縛る鎖は何か魔力が脈打っている、恐らく並のものでは壊せない。

俺はこの状況をみて、相手が攻撃する手段がないと判断し剣を下ろした。

「ありがとう、どうやら君は舞い込んでしまっただけらしい」

「.....そのようだな、お前は何者なんだ」

「俺は王さ、いや王になるはずだったと言うべきか。生きてはいるが生きていないというのかな、まあこのとうりさ」

彼は唯一動く手を上に動かし、これは参ったという顔をした。

生死をかけているはずなのに、まるで他人事のようだ、仕方がないと。

「いずれ俺と君は出逢うだろう、それは必然でありながら偶然の結果だ。君がそうであるというならば、俺は俺でもってして振る舞おう」

「どういうことだ」

「王としてではなく味方として君を待とう、なに、直ぐにわかるさ」

「......お前、意味がわからん」

「はははっ、なに、ちょっとしたクイズのようなものさ。戯れだと思って聴き逃してくれ」

彼は上を見上げて微笑んだ、輝く何かがあるように目を細める。

「お前、何故この状況で笑える。話ぶりから好きでこのようになったわけでもあるまい、だとしたら他人によって作り出されたこの状況、憎悪の欠片もないその表情、いったい何をもってして笑える、いったい何を思える」

ゆっくりと戻された顔は本当に笑っていた、作り物でも張り付いたものでもない。

「君は優しいな、ならば俺も問おう。貴殿は何をもってして俺を気にかける。初対面であり右も左もわからぬはずのこの状況で、得体もしれぬこの俺を気にかける余裕があると?そして忘れたか、貴殿は何と相対していたかを。思う所があるならば戻るがいい、待っているのは『死』ではない『光』だ。貴殿は未だ無知である、この状況わからぬならば貴殿の生はそこまでだ」

そうして彼は、いや奴は俺に微笑んだ。

同情ではない、憐れみではない、慈愛ではない、友のように。

「お前は.....誰だ...?」

「言っただろ?君の味方さ」

「違う!!俺は一言も敵と相対していたなど口にしていない!!!!」

まるで、まるでそれは予知いや千里の目、神のようではないか。

「戻るがいい人間よ、お前はいずれ辿りつくさ」

「待てっ!!!!」

俺は剣を構えて駆け出した、王だというならばそれは、いや、奴はなるはずだったと言った、それはもしかして。

そして視界は光に埋め尽くされた、その前に白い布がふわりとはためいた気がした。

 

 

 

 

 

目が覚めた時には地面がそこにあった。

俺はすぐ様手を地面につき立ち上がる、今の状況は、セラフィムはどうなった。

「ほう、辿りついて啓示を受けたか。大したものだ」

奴は目の前でただ優しく俺を見ていただけだった、この状態の俺に攻撃するでもなく、ただ待っていた。

すぐ手前に刺さる愛剣を手に取り、剣を構えた。

背中がじくりと痛み、熱い何かが流れ落ちるが気にしてはいられない。

そう、俺が相対しているのは上位階級第一位熾天使セラフィム

俺が今朝戦闘したのは中位階級第三位能天使パワーズ、奴らは一体につき一連隊壊滅させる力があると言われているが、目の前の奴はそんなものではない。

たった一体で一軍を殲滅できるという、冗談でも笑えたものではない。

ああでも、熾天使が下界に降りてきたのは今回が初めてだろう、その仮説が現実だと証明出来た者はいないはずだ。

冗談であってくれと願うばかりだ。

全く大昔の人間は、何故こんな戦力差が見え透いた戦争をふっかけたのだろうか。

「今回は君を見逃そう、仮面の。下界に降りたのも本当はこの帝国の軍を壊滅させるためでないしなあ」

「貴様、それは情けか!!我が誇りを侮辱すると!?」

「ああそうだ情けをかけている。若き戦士よ、君はまだこの戦争の裏を知らない」

そうして奴は身を翻した。

跳躍すると同時に翼を展開し、爆風を残してどこかに飛んでいった。

緊張の糸がぷつりと切れ、急激に訪れる傷の痛みに顔を歪ませる。

いつの間にか音もしないほどに人はいなかった、あいつはきっと本部に応援要請でもしに走っただろうか。

剣を鞘に収めどかりと地面に座りこんだ。

ぱたぱたと滴る血が生きているのだと実感できるほど赤い。

俺は生かされた、奴の蹴りを食らえばわかる。

あれは加減をされていたのだ、あいつは殺そうと思えば一捻りで俺の首を取れただろう。

いや、今回生きていて良かったのかもしれない、何故なら得られた情報も少なくない。

奴は「ミカエル」だと言った。

ミカエル、天使を総括し天界軍のトップにたつ天使だ。

これを生きて騎士長に届けなければいけない、ああでもまだ少し、座っていても、怒られないだろう。

朦朧とする意識の中、仲間の足の群れの中に懐かしい青いドレスを来た少女が立っている気がした。

アヴェスター 第三章

少女は嘆いた。

あの時、しっかりとその手を掴んでいればよかったと、今更後悔した。

激しい雨が己を打ち付けたが、想いは流してくれなかった。

少女は親友の、いや自分の為にただ走った。

自分の数少ない願いだ、優先させて悪いなど、彼女と親しい者は言わないだろう。

恋をしていたわけではない。

いやいっそ、恋であった方が楽であっただろうに。

ただ、ただ救われたのだ。

いきなり現れた彼は、いきなり消えようとしている。

それがとてつもなく苛ついた、親友の契りを交わしておきながら全く無責任ではないか。

何度となく背中を預け、救い救われ、喧嘩をした。

ただその日々が、少女にとってどれほど輝く宝物であったか。

それを踏みにじろうとする、諦めようとする、勝手に現れ勝手に懐に入ってきながら、なんて。

彼は一言、ごめん、とらしくもなく謝った。

何をいっているのだ、と。

お前らしくない、どうしたのだ。

彼女は彼に問うた。

彼の冷たくなった手を握りしめた。

どうしたのだ。

彼の胸倉を叩いた。

どうしてなのだ。

彼の頬を撫でた。

どうして。

赤黒い見慣れた色が。

また。

 

恋をしていたわけではない。

ただ少女は救いたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全く何が起こったのか自分には理解できなかった。

先程まで確かにメタノイヤ大将が攻めていたはずだった。

目の前で繰り広げられるのはもはや人ではついていけない。

アモル隊長が大将の水平切りを弾き返したと思ったら、目にも留まらぬ早さで一方的に攻撃にかかったのだ。

早すぎて全くと言っていいほどに太刀筋が見えない、残像の後を見つけ、また見つけと。

加えて威力も凄まじく、防御に徹する大将を一太刀で弾き飛ばす。

成人男性であり自らより重い大将をああも軽々と、あれが隊長の実力なのだろうか。

本当の意味で火花を散らす攻防戦を食い入るように見る。

素早い突きを弾き飛ばし、振り下ろされた刀を滑らせ、回された足を籠手で防ぐ。

すると隊長は、埒が明かないことに気がついたのか、後ろに飛び退いた。

それを大将が逃すはずもなかった。

 

 

 

興が乗った、なんてただの言い訳だ。

『銀狼』を知っているといった、懐かしい響きだが忌々しいそれを知っていると。

ならば致し方ない、事故ということで死んで頂こう。

なるほど、今日私はこいつを始末するために来たのだな。

私は手馴れたように敵の急所を確実に切り裂く、だがそれは届く前に全て弾かれてしまう。

ならばと、回転を加えた蹴りを右から喰らわせようと足を振り上げるも、虚しく全て防がれる。

人間の『大将』を張っているだけはあるということだろうか。

私は思わずうっそりと微笑んだ。

こいつを観察していて分かったことは、防御型の剣士であるということ。

それは私とは正反対の剣術だ、もちろん防御に徹する剣術を使えないことはない。

何故なら私は、天使の中でも身体能力が飛び抜けて高い一族の末裔、「雷天族」だからだ。

人間がそれを知っているわけはない、「雷天族」は全ての武の元、何百もの武術を編み出し、習得し、伝承してきた。

それを私が知らないわけがない。

まぁ、もう数が少なく病弱だというのが玉に瑕だが。

だがそれで、ようやく人間は渡り合えるというものだ。

私は大きく後退した。

刀を空中で回して持ち直す、腰低く逆手で構えるそれは、原本の六型「紫苑」。

速さに特化したもので、私が得意とする型。

力強く足に力をこめ、地面を蹴り飛ばす前にそれはきた。

先程までとは圧倒的に違う殺意が、決して鋭くはない、だが鈍器で殴られたような重いそれが前方から押し寄せてくる。

その中に紛れた僅かな気配が背中を刺した、私は思わず上に飛び上がった。

そこには跡形もない地面、その中心に敵はいた。

奴の眼光は鋭く、先程までの優男の欠片も感じない。

鈍器のような殺気は、ひしひしと私の頬を殴る。

なるほど、ここからが本番と言うことか。

これが笑わずに居られるか。

この刺すような殺気、緊張感、これはまさに命の取り合いだ。

油断した方が死ぬ、弱い者が死ぬ、足を取られた方が死ぬ、気を緩めた方が、諦めた方が、挫けた方が、啼いた方が、堕ちた方が、死ぬ。

これが楽しまずに居られるか。

 

 

 

 

言ってしまえば、見ていられない。

アモルの振るう刀が、相手の胸を掠った。

何があったか知らないが、どうやら乗せられたらしい。

思わず頭を抱える。

もしかしなくとも奴が強いのは十分承知だ、もちろん相手の命を奪うこともないと願いたい。

いやアモルなら奪えないだろう。

そしてことの元凶、フォルの肩に手を置いた。

「お前……元帥なんぞになるから腹黒が更に増したぞ。真っ黒だ、闇だわ」

「そうかぁ?お前はあの時から餓鬼が抜けて大人しくなったな、安心したぞ」

「余計なお世話だわっ」

そう、此奴はアモルの実力などとうの昔に知っているのだ。

だからわざわざこんな決闘などしなくとも、部下を任せられんなどほざきはしない。

それに気づいたら元帥なんぞになっているのだから、どうしたもんか。

昔の仲間達は、どうやら相当拗らせ引きずっているとみえる。

俺は隣の少年を見た。

バーナーといった彼は、目の前の決闘に釘付けでその目はキラキラと輝いていた。

これからの冒険に期待を隠せないその輝きと、上に立つ者の実力に惚れ惚れしている。

まるで夢を見つけた少年のようだった。

その姿は遙か遠い、遠い、もう埋もれてしまった昔の自分が重なって見えた。

今では太陽だと崇め祀られる偶像に成り果てた、確かに己は太陽だ。

だが、彼の方がよほど太陽にみえる。

あぁ神よ、何故自分だったのですか。

こんなことなら、俺は地に落ちたかった。

一緒に泥水を啜りたかった。

その方がまだ太陽として輝けたものを。

帰ってくるはずもない返答に、自嘲した。

神だなんて、ここに神がいるだろうに。

俺は目を細める、決して滲みそうになったわけではない。

するとフォルが、俺の肩に手を置いた。

「お互い、引き返せないとこまで来たな」

「……全くだ」

俺達は二人でひっそりと笑った。

この時だけ、俺達はあの時の俺達に戻った気がした。

 

 

 

 

隣から楽しそうに笑う声が聞こえたので顔をあげると、元帥とレイトさんが何やら会話していた。

二人共何処か懐かしむように話している。

すると、バチリとレイトさんと視線が交じる。

俺は視線を逸らそうと慌てて前を向く。

「バーナー、アイツを目標にするのは止めておけ。見ての通り、頭おかしい」

「な、何でですか!」

俺は予想外のことに身を乗り出す。

すると、レイトさんは口を抑えて笑い出した。

そんなにも面白かっただろうか。

「いや、すまんすまん。あまりに似ていてな」

「昔、お前のような男がいたということさバーナー」

「は、はぁ……」

レイトさんは一頻り笑った後、俺の肩に手を置いた。

彼は羨望の眼差しで俺と目を合わせた、そして細める、眩しい何かが見えるように。

俺を見ながら、誰かを見ていた。

「目標に届く、コツを教えよう」

そして彼は前を向いた、さらにその向こうを。

その瞳はキラキラと輝いて、吹き抜ける風が髪を揺らす。

これが彼を神たらしめるものなのかもしれない。

つくづく俺の周りは美男美女しか居らず、何処か遠くをみる彼は一等輝いてみえる。

「諦めるな、足を止めるな。そして馬鹿みたいに前しか見るな、前はまだ未開の土地、後ろには自分が歩いた道しかない。どうせ見るなら『道』より『未知』の方が、わくわくするだろう」

彼はそう言うと、ニッと笑って見せた。

いや、これが彼を彼たらしめるのだろう。

「はいっ、レイト皇子」

「…………レイトでいい」

優しく撫でる風の中で、今度の彼は俺を見ていた。

「いや、しかし……」

「レイトが、いい。俺は堅苦しいのが嫌いでな、皇子と友達に慣れる機会だぞ?」

彼は悪戯っぽく笑う、それは夏の青空がよく映えるような笑み。

「……レ、レイト……」

俺はもごもごと口の中で転がすように名前を呼ぶ。

すると彼は思いっきり笑い出した。

「いたっ」

バンバンと背中を叩かれる、彼は本当に楽しそうだった。

「よろしくな、バーナー」

「……ぉ、おう…………レイト」

「何を馬鹿なことやってるんだお前らは」

元帥がニヤニヤとした顔でこちらを見た。

レイトは、友達と戯れていた、と楽しそうに笑う。

新しい友達だから、と臆病ではなく、かと言ってめんどくさい絡み方でもなく。

彼とは良い友達になれる気がする。

刹那、ぞわりと背中を撫でられるような感覚に決闘の方に視線を向ける。

隊長と大将が相変わらず撃ち合っていた、互いに所々傷つき出血も見られる。

大将は隊長の水平回転斬りを受け止め、そのまま隊長を大きく上に弾き飛ばした。

だが、上空で彼女は笑っていた。

その時にはもう既に遅かった、隊長の振り回した斬撃波が野次馬たちに、そして俺達にも向かってくる。

それも第三波ほどある、これを避けても次避けられるか。

「問題ない」

「は」

野次馬達を斬撃波が襲う、だが何も無い空間でそれは弾け去った。

そしてレイトは右手を薙ぎ払うように動かすと、何故か炎の壁が視界を覆った。

「っつぅ〜、あの子強くなったなぁ」

元帥はいつの間にか持ち上げていた腕をブラブラと振る。

そして元帥が腕を下ろすと同時に、野次馬達の周りをガラスのような光が弾け飛んだ。

「これはいったい……」

「何だ、知らんのか」

心底以外だという顔をすると、レイトも腕を下げた。

同時に炎は地面にチリチリと後を残しながら空気に溶けていった。

「フォルはなぁ、俗に言う『エスパー』って奴だな。まぁそこら辺のエスパーとは次元が違う、化物級だ」

レイトは胸をはり、まるで自分のことのように自慢げに話すが、エスパーと言っても実際どれだけなのだろうか。

そんな俺を察したのか、フォル元帥はにっこり笑う。

「まぁ、見てなさい」

元帥は右腕を静かに上げる、ふわりと風が撫でた。

その風は次第に強くなっていく。

そして、まるで陽炎のような何かが両者の元へ飛び出す。

すると、決闘に夢中だった両者は不可視の力によって地面に叩きつけられる。

一体何事か。

「両者、そこまで」

「っ……元帥」

大将は立ち上がろうと地面に手をつくが、不可視の力によってびくとも出来ない。

隊長はなんとか手と片膝を地面につけながら、顔を歪めている。

それでも立ち上がろうと、抵抗しながら隊長は刀を何とか地面に突き立てる。

それも虚しく、刀はカタカタと音を立てて地面にさらに深く刺さった。

「ぐっ……サイコキネシスか……っ」

彼女は、レイトをぎろりと睨む。

それはこの短い出会いまでの間では、見たことないような殺意が篭っていた。

それに俺は思わず短い悲鳴を漏らす。

「もういいだろう?久しぶりに楽しめたか?」

彼はそれに苦笑いをして答えて見せた。

「まだだッ……これからもっと……」

「これ以上はシスコンに怒られるぞ?」

レイトは困ったという風に笑った、すると隊長の殺意が一気に削がれる。

「……興が冷めた」

「ふむ。両者、素晴らしい手合わせであった」

元帥は腕を下ろすと、両者にかかっていた陽炎のような力が消えた。

周りの野次馬達は、立ち上がる二人に拍手やら雄叫びをかけ、盛り上がっている。

隊長は素早くこちらに、ズンズンと戻ってくるとレイトに突っかかる。

先程まで着ていたはずの首から膝まですっぽりと隠していたロングコートはいつの間に脱いだのだろうか。 

所々砂埃や切り傷で汚れているが、表情に変化はない。

痛くないのだろうか。

「銀狼殿っ!」

そこにメタノイヤ大将が得物を鞘にしまい、駆け寄った。

「此度の手合わせ、大変勉強になりました」

大将は優しく笑いながら、その手には隊長のコートを持っていた。

するりと差し出したコートは丁寧に畳まれている。

「己の未熟さ故に、貴公の相手が務まらなかったことは私の非であります故。どうか主に当らないでください」

大将は腕を深く斬られたのか、音を立てながら滴る血が地面に跡を残していた。

他にも足や肩、腹にも大小の刀傷が見られる。

その姿は隊長と比べるとこちらの方が痛々しかった。

それでも大将は、敵だったはずの隊長に笑顔を向けた。

「……貴殿に一つ忠告しよう。私のことを次相見えた時、『銀狼』と呼ぼうものなら。本気で首を取らせて貰おう」

「ぎっ…………アモル殿」

彼女は大将の手にあったコートを奪い取ると、レイトから手を離しそれを身につける。

「それは無礼を働いた。次からは気をつけよう」

「…………貴殿、中々いい筋をしていた。久方ぶりに楽しめた」

そして鞘に刀を音もなくおさめ、剣帯にそれをさす。

「是非再び手合わせ願いたい、次こそ、我が全ての剣術を披露しよう」

「それは真にございますか。確かにこのメタノイヤ、言質を取りましたぞ」

メタノイヤ大将は、少し驚いたように目を開くがすぐにふわりと笑う、それはとても優しく作り笑いとはほど遠い。

だが隊長は、不敵に笑うとコートを翻した。

「………それが戦場にならないことを願うばかりだがな」

そして一人何処かへ歩いていく。

「おい、どこ行くんだよ」

「お兄ちゃんに報告しないといけないからね」

「なっ……お前告げ口するつもりかっ!」

「先に失礼する、別にお前を護衛しても楽しくもないからな」

アモル隊長はこちらを振り返ることなく、手をひらりと振る。

 一瞬花の香りが鼻を掠めた、そして強風が襲う。

前を見ると隊長はもうそこには居らず空を優雅に飛んでいた。

その翼は、まさに天使を象徴する純白の白い翼。

自由に飛ぶその姿に、俺は思わず遥か遠くの隊長に手を伸ばし、握りしめた。

そしてこの短時間に起こった出来事を思い出す、胸の高鳴りがとまらない。

御伽噺は、夢はそこに存在したのだと。

アヴェスター 第二章

少年は言った。

空に惹かれる、何故かあの青い空が懐かしい、と。

白い少年は、なんとも悲しげな表情で掴めるはずもない雲を握りしめた。

なんでそんなこというんだ、と問えば。

自分が今ここに居なければ、『家族』を護れただろうに、と笑った。

どこまでも白い彼は、偽りの『家族』のためにどこまでも悲しげに笑った。

まるで太陽のような彼は。

まるで夜のような自分には、眩しすぎて。

だからだろうか、この頬を濡らすのは。

金の草原を走り抜ける風が俺達を笑うようだ。

彼はおそらく遠い、人間には遠いとこに行ってしまうのだろう。

それは腹が立つほど腑に落ちた、同時に泣きたくなるほど、行くなと叫びたかった。

違うのだ。

決してこんな終わりを求めていたのではない。

違うんだ。

どうか、本当に神様がいるならば。

我らが過ちを許してくだい。

どうか。

彼を連れていかないでください。

神よ。

どうかーーーーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「両者決まったな」

元帥は空になったカップを机に置いた。

するとそれが合図になったのか、ズルリと客人は滑り落ちる。

「はあぁぁぁぁぁぁ……やっとかぁぁ……」

張り詰めた緊張がぶつりと切れたと思うと、ふにゃりと笑う彼は手を差し出した。

「まだ、君の名前を聞いていなかったな」

「……バーナー=ジュリアスと言います」

俺はその手をしっかりと握る。

彼の手は柔らかくなく、硬くもなかったが、所々ゴツゴツしていて傷も目立つ。

はて、皇子と聞いたのだからてっきりまっさらな手をしているものと思っていたのだが。

あまり長く握っているのも失礼なので、早々に手を離す。

同じように零も彼の手を握る。

「夜月 零と申します」

「おう、よろしくさん」

零も俺と同じ考えに至ったのか、顔をしかめる。

武人のような手だが、得物を使っているような手ではない。

素手を得意とするような手だ、だがそのわりにはさらりとしていた。

言うなれば、昔そうであったが今はそうでないために戻ってしまったと言おうか。

彼はそんな俺達の考えに気づくことなく、零から手を離した。

「そうと決まれば早速準備だなっ!それから歓迎会も催さなきゃなぁ、宴会は人数が多いほうが楽しいからな、多いに越したことはないだろう」

「気が早いぞレイト」

「当たり前だフォル、新しい仲間だっ!歓迎こそすれど追い返すなんざとんでもない!大歓迎だ!」

フォル元帥は懐かしむように隣で楽しむ彼を見つめる。

「質問、よろしいでしょうか」

「零、なんだ?」

「何故我々二人が選ばれたのですか?」

「あぁ、それについてはアモルに聞いてくれ。人選はあいつがした、珍しく頑なだったからな」

そう言われ、俺達は彼女を見つめた。

彼女は先程見た時からピクリとも動いておらず、そして今現在も。

「……アモル」

「…………」

「……チビ、もういいだろう。だいたいいつまで不貞腐れてるんだ、お前はガキか」

彼女はゆっくりと開いた左目で彼を睨みつけた。

断じてそれは主人に向けていいような殺意じゃないと思う。

するとため息一つ、驚きの口調であった。

「……だいたい私はお前に、仕様がなく、今日はついてきてやったんだぞクソマフラー。本当は今日アテナ様支持下による都防衛部隊との演習日で、こんなとこでただ話してる場合じゃねぇんだよ」 

「はいはい、正直に楽しみにしてたのに、と言えばまだ可愛いものを……」

「可愛くなくて結構、それとも可愛くなればいってもよかったのか?えぇ?」

零唖然である。

先程まで主に対して敬意をもった口調だったのにたいし、今もう、年相応の女の子というか、何とも言えない。

「わかったわかった、わかったから。質問に答えてやれ」

「……私はアモルだ。お前達の配属先の部隊長を務めている。要は上司だ」

彼女は胸をはる。

何も無かった、確かに、胸をはっている。

だが何もなかった、何も感じなかった。

彼女は本当に胸をはっているのか。

存在するべきものが、ないと言うか。

寂しいというか。

「お前達二人は出身地が同じだろう、実はあそこには想い入れがあってな。どうせ人間を部隊に入れるなら、自分が安心できる要素が欲しくてな」

「…………それ、だけですか?」

「ん?あぁ、確か零とやらは学問主席で、お前は剣術次席だっけ?」

「はい」

「まぁ、それだけだろう?」

「……へ?」

「訓練でどれだけ良い成績をだそうが関係ない。実戦で実力を発揮できないなら所詮そこまで、戦場を知らん奴が実力を十分に発揮できないのは目に見えているし、そもそも戦場を知らない兵など駒にもならん」

彼女は実に淡々と、冷たくすらすらと言い放った。

「まぁだか安心しろ。「暗部」に入るならそうはいかん、我が隊に使えない者はいない。お前達を無事実戦出来るようにさせ、かつ生きて帰らせるのが私の教育方針だ。我が部隊に入るからには死ぬなど以ての外だ、死ぬぐらいなら違う部隊に移って貰おう」

「……という訳でお前達は選ばれたと」

後半は理由と言うより半分罵られ感があったのだが。

「安心しろ、私は強いぞ!」

えへんと腰に両手をおいた彼女からは、年相応の女の子を感じた。

強そうとは欠片も感じない。

「レイト、この二人どうするんだ?」

「三日間準備期間として与えたい、ついでに天界についての資料を後日、うちの奴に届けさせるから」

「わかった……して、レイト」

「なんだ?」

「うちの部下をお前に預けるわけだが」

「…………フォル、まさか」

「これでも俺の部下だからな、安心できる保証が欲しい」

するとメタノイヤ大将が、厨房から帰ってきたらしい。

お盆に人数分の紅茶、それからケーキを乗せている。

綺麗な所作でひとりひとりの手前にそれを置いていく。

「……そうだな。うちのメタノイヤとその部隊長様との死合を望む」

「…………正気かフォル」

「あぁ、命を預けるに相応しいか。最終試験と洒落こもうか」

元帥は目の前にきた紅茶のカップを口にした、まるで笑を隠すように。

それはまるで悪者のようで、悪戯をする子供のような無邪気な目をしていた。

「ということだメタノイヤ」

「何でしょう?」

「そこにいる『銀狼』と死合をしろ」

『銀狼』という固有名詞に、隊長はピクリと反応した。

それは大将も同じで、一瞬アモル隊長に目を配ると顔をしかめる。

だがそれも一瞬、何事もなかったように笑う。

「死合、ですか……久方ぶりですが」

「問題ない、手加減して死ぬのはこちらだ」

「…………承知しました」

「決まりだな」

レイトさんは、じろりとフォル元帥を睨む。

呆れたような、めんどくさいといった顔つきでため息をつく。

「おいフォル、お前なぁ……」

「いいじゃないか、お前らしくもない。君もいいだろう?隊長さん?」

元帥はアモル隊長を見ることなくケーキをつつく。

苺をフォークで口に運び、一口で平らげた。

彼女は沈黙を貫いた。

その沈黙を是ととったのか、元帥はフォークを置いた。

「それじゃあ、実力を拝見させて貰おう」

そして、今度こそ悪戯に成功した、といった子供のようにふわりと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前の客人は、本日何度目かも分からないため息をついた。

皇子などという欠片は少しも感じさせない振る舞いで、よくよく見れば服装もそれほど華美ではなく、マフラーを除けばそこらの服屋にでも売っているだろう代物ばかり。

暗い橙色のような半袖のカーディガンに、黒いタンクトップを中に着ている。

下はジーンズに膝からしたは茶色のブーツといった、街で見かけそうなラフな格好だ。

そんな彼は、目の前の楽しそうな元帥を恨めしげにじっと見つめている。

そして再びため息をついた。

「いいか二人共、しっかりとこれから上司となる奴の実力を見ておけよ。お前達の命を預けるんだからな」

「お前楽しんでるだろフォル」

「はて、何のことやら」

元帥は楽しくてたまらないといった風に軽やかに弾む足取りでレイトさんの隣に並ぶ。

ここは屋外の修練場、学校でいうグラウンドのような広さのそれは、ある穿たれたような一箇所を除いて人が溢れかえっていた。

やれ大将に賭けるやら、やれ客人に賭けると賭け事の一種まで聞こえてくる。

「………この野次馬の数だっ!」

レイトさんは、マフラーを翻し集まった野次馬達を指さす。

どうやら、『メタノイヤ大将とフォル元帥の友人である客人の、腕の立つ護衛が真剣をもって取っ組む』という名目を聞かされ、支部中の兵が我先にとなだれ込んで来た結果らしい。

もちろん天界の使者だということは伏せられて。

俺は苦笑いが漏れるしかなかった。

「こんなに早く情報が流れる筈がないっ!」

わなわなと手を震わせ、唇を噛むレイトさんは何度目かも分からない、フォル元帥をこれでもかと睨んだ。

「まぁまぁ、偶には息抜きも必要だろう?」

レイトさんを見ることなく、元帥は静かに右手を挙げた。

すると、先程まで騒いでいた野次馬たちは面白いほど一瞬で静まりかえる。

武人ではあるが前提として一介の兵、元帥の行動は絶対である。

「これより、メタノイヤ大将と……、ふむ、何といったものか」

「……どうぞお好きなように」

「そうか、では。これよりメタノイヤ大将とアモル隊長による真剣による試合を始める。両者、己の命をかけること。良い、と言うまで止めないこと。これが条件である」

大将は一歩前にでると、左手に得物を持ったまま揖をする。

「手合わせ、お頼み申す」

変わって、隊長は得物は腰に下げたままその場で左膝を地面につけ、右足は立てたままの状態で礼をした。

これがおそらく天界の儀礼なのだろう。

「お願い致す」

彼女は静かに立ち上がると、柄に手を伸ばした。

そして、その柄に手を握らせた瞬間。

彼女を中心とした殺意の波が広がった気がした。

その場全ての人間が鳥肌たったことだろう。

それに帯刀していた兵は武器を抜き、していないものは身構える。

まだ抜刀すらしていない彼女は、元帥とメタノイヤ大将、それからレイトさん以外の全ての者を一瞬でその気にさせたのだ。

かく言う俺もその一人で、冷たい何かが背中から這い上がる感覚にひやりと額に汗をかく。

彼女は表情一つ変えることなく、ただ一人の敵を見ていた。

こんな少女ができるような目ではない。

これは数多の戦場をかけた猛者の色だ。

俺の知っている年相応の女の子は、恋に眩み、己を着飾る、決してこんな。

こんな表情ができるわけがなかった。

平和とはほど遠い彼女は、まるでこの世の摂理を知っているように寂しい目だった。

大将はそれを知ってか、わざとか、己が得物に手をかけた。

空気が殺意と緊張をはらみ、まさに一触即発。

この場にいる者が二人に釘付けになっていた。

俺は自分より小さな女の子が、己より優れていることをすぐに理解し、それを悲しく思ったのと同時に強く好奇心を引き立てた。

己より優れている少女は、果たしてどこまで強く、どこまで忠義を尽くすに値する上司なのかを。

分かってしまうと先程感じた悲しみはどこへやら、今か今かとその始まりをみるために目を見張る。

先に動いたのは大将だ、自慢の得物を鞘から音高く抜き、隊長へと走り出す。

彼女はするりと静かに、それでいて優雅に得物を抜刀した。

両者の得物は同じ刀、大将は太刀、隊長は打刀より長く太刀とは言えない細い線の刀だ。

大将は剣の間合いに入ると下段の構えをとり、そこから斜めに切り上げるように力強く振り上げた。

太刀筋は見えないことはないが、やはり大将。

素早く力強いそれに、思わず野次馬たちは感嘆の声を漏らす。

だが少女はいとも容易く、重心を変えるだけで躱してしまう。

それを大将の剣は隊長を追うように振りかざす。

彼女は、一振り、また一振りを軽々と最低限の移動で全てをひらりと躱す様はまるで、胡蝶が舞うように流れ、大将も舞をするようにひらりひらりと得物を振るう。

優雅な剣舞に兵たちは、やれ美しいだの騒ぎ始める。

隣にいた皇子はほっ、と安堵のため息を漏らした。

「本気を出す気は更々なさそうだ……。彼奴が本気になったら経費が怖い、修理費、人件費、謝罪費…………」

皇子はぶつぶつとマフラーに顔を埋めて何やら呪文のようにつぶやく様に思わず笑った。

 

 

 

 

 

さて、どうしたものか。

私は目の前の『大将』と呼ばれる敵をひらひらと避ける。

こんな見世物のような決闘、やる気も何も湧いてこない。

かと言って適当にかわせば、何やら後が五月蝿そうだ。

どうせならもっとやり甲斐のある『大将』であったなら、今日の憂さ晴らしができたものを。

そう、今日の天界で行われる演習を私は実に楽しみにしてきた。

大好きなチーズケーキを我慢し、大好きな昼寝もせず、今日の日の為に私は書類の山を片付けたといっても過言ではない。

なのに、この仕打ちだ。

こいつに八つ当たりした所ですぐ終わってしまうだろう。

だから最初にほんの少し、相手を牽制して、あわよくばそのまま終わることを望んだのだが、中々肝が座っているのか、それともただ鈍感なのか、周りの野次馬共が反応したことに内心舌打ちした。

私はとりあえず、相手の剣を避けつつ太刀筋を読み、適当に撃ち合い、適当に終わらせることを考えていた。

「どうやら貴公は考える余裕がおありらしい」

目の前の男は、確実に「殺し」にくるような一撃一撃を繰り出しながら私に話しかける。

お前も話しかける余裕があるではないか。

「……貴殿も随分手加減しているようで」

「貴公が一向に撃ち合ってくれそうにもないのでな。なに、貴公の実力は存じ上げている」

「ほう。戦場でお相手でもしたことがあったのだろうか、申し訳ないが余りに足を運んだ数が多く、あまり貴殿を覚えていないのだが」

「いえ、そうではない。『銀狼』としての実力のことである」

私はその言葉に思わず、左から流れてくる刀を本気で弾き返した。

火花が散り、それは頬を軽く焦がして消える。

野次馬たちがどっと騒ぎ立てる。

相手は強く踏みとどまると、今度は八相の構えをとった。

「なに、有名な『銀狼』を知らぬ軍の古株はおらんよ。手合わせできるとは、一介の剣士として嬉しいことはない。得物一つ、体一つで東の大帝国を……」

「乗った」

「は」

「興が乗った」

私は愛刀をしっかり握り直した。

「貴殿のお相手を致そう。しかし若輩者であるために、その命貰ろうてしてしまうかも知れぬが、ご覚悟を」

アヴェスター 第一章

昔々の大昔、何も無かった場所に白く輝く少女が産まれました。

と、同時にどこまでも深い、黒い少年が産まれました。

二人はとても仲が良く、いつも一緒にいました。

だけど二人は、二人だけでは寂しくて、世界を作りました。

次に自分たちと同等の神を、二つ目には使いとなる天使と悪魔を、最後に動物や植物、そして人間を。

さらに二人はそれぞれが住みやすいよう世界を三つにわけ、それぞれが交流し、穏やかに住んでいました。

二人は、もう寂しくないと笑いました。

だけど、人間は欲深い生き物でした。

人間は動植物の居場所を奪うだけなく、自らで争い始めました。

同種族で争いあい、終いには血も流れました。

二人は悲しみました、こんなはずでは、と。

それでも人間は止まりません、人間はついに「天」に手を出しました。

増えすぎた人間は、領地が欲しかったのです。

それ以上に、自分たちより良い性能をもつ者たちへの興味、いや人間の方が上だと愚かにも慢心したのです。

それからは長く辛い争いが何千年も続きました。

二人は悲しみ寄り添いました、あぁ、こんな事になるなら人間など作らなければ良かったと。

こんな事になるならなぁ、と。

二人はずっと。

一緒のはずでした。

ずっと……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

茶色い封筒に入ったそれを、ただ見ていた。

『配属決定報告書』と書かれたそれを握って呆然と立ち尽くす。

周りの奴らは自らの配属先に喜び、そして同時に誇り、活躍することを期待し、目を輝かしている。

俺のそれには『天界 支部統括兼特殊攻戦部隊』と書かれている。

聞いたことも見たこともない部隊名だ。

下界政府直轄の軍の支部師団または部隊の全ては把握済みのはず。

もしかして軍の管轄外である、全く別のものかもしれない、それなら納得が行くというものだ。

俺は書かれた紙を、まだシワ一つない封筒に丁寧にしまった。

「バーナー」

「……零!」

変わりなさそうな親友の姿が見える。

夜月 零とは小さい頃からの腐れ縁だ。

近づいてきた親友は、濡れたような黒髪を耳にかけ、茶色い封筒を押しつけてきた。

「……こんな配属先、聞いたことない。前代未聞よ」

俺はまさかと思い、慌てて封筒を開いた。

そこに書かれていたのは俺と全く同じ内容であった。

「実は……俺もなんだ」

それを告げると零は数回瞬きをし、そしてげんなりとしたような呆れ顔をしてみせた。

まるで、またお前か、と言いたげに。

「さすがは切っても切れない腐れ縁の親友だけはあるわね」

彼女は俺から封筒を奪いとると、隊服の内ポケットに丁寧にしまい込む。

「……これは理由を聞かなきゃ納得できないわ」

そういうと零は俺の腕をがっちりと掴んだ。

とても嫌な予感がした俺は振り払おうとしたものの親友には、全くといって効くわけがなく、無力にも引きづられる。

ずるずると、広い集会所の中を引きづられ、もちろん他の訓練生が同じ封筒を握りしめながら俺をみる。

「だいたい『天界』だなんて昔話、想像上の場所よ。巫山戯ているにもほどがあるわ」

「でも実際にここには…」

「矛盾してるわ!!それにもし存在しているとして、もし昔話と同じだとして、私達人間が生きていけるとは思わないわ」

零はドカドカと大股で歩き、集会所の扉へ手をかける。

零は基本的に現実主義なので、言い分は最もである。

「天界」の話は小さい子なら誰でも知っている御伽噺のことだ。

天に浮かび、海のように広大な島であるから「天海」とも呼ばれる。

御伽噺の通りならば、そこは天に幾つもの島々が浮かび、神とその使いたちが暮らす、俗に言う天国なる場所のはずだ。

天界の数ある御伽噺の中でも有名なのは、戦の神アレスの話だ。

零も恐らくこの話のことを言っているに違いない。

違うとしても、御伽噺の大半を占めるのは子供には恐怖を覚えさせるような残酷な「戦い」の話だ。

例えば天使一人で一師団を殲滅できるとか、神の力を持ってすれば人類など卵を割るより簡単だとか、なんとも現実味のない話。

俺達は、人気の少ない廊下を進んでいく。

その間でも零の愚痴はとまることを知らない。

俺は適当にうんうんと相槌をうち、早く目的地に着くことを願った。

だがそれは叶うことはなさそうであった。

零はいきなり立ち止まり、俺の腕を離した。

おかげで俺は零の薄い背中に顔面強打する。

「おい!いきなり……」

「両大将よ馬鹿っ」

俺は零の言葉にすぐさま顔を上げる。

廊下の真ん中を二人の男が俺達を見つめている。

まさに『清さ』をそのまま人間にしたような整った顔立ちの男と、背が高く威圧的なオーラが迸っている男。

それぞれ腰から床に付きそうなほど長い刀と人間の腕など簡単に折ってしまいそうな大剣を背負っていた。

俺はすぐさま敬礼をした。

目の前にいるのは軍の誰もが憧れ敬う、軍の配下にある全ての兵たちを取りまとめる二人の大将だ。

全てとはもちろん、軍に所属する全ての兵で、本部から世界中にある支部、師団にいるひとりひとり全ての兵のことだ。

そんなもの何人いるか、知れたものではない。

両大将の武勇伝は両手では足りぬほどにあり、一介の兵ならば誰だって憧れるものだ。

両大将は軽く頷き、俺達に手を下ろさせる。

すると美男の大将が口を開いた。

「お前達、夜月 零とバーナー=ジュリアスで間違いはないか」

「はっ、夜月二等兵と同じくバーナー二等兵です」

「丁度良いとこに、おかげで手間がはぶけた。二人に配属の件で話があるため着いてこい」

「これは元帥命令である」

「……元帥命令っ!?」

俺は思わず飛び上がる。

元帥とは軍の最高位の階級であり、軍には五人の元帥が存在する。

それぞれが本部そして北西南東の最大規模の支部に元帥がいる。

その元帥の一人が、この西の大帝国の支部長を務めている。

多忙な為にあまり顔を拝見したことはない、だが噂によるとなんとも若い男らしい。

 「命令拒否は反逆罪で斬首だ」

もう片方の大将が静かに恐ろしいことをさらりと言う。

その一言に俺達は目が飛び出る。

それに先程の大将が爽やかに苦笑いした。

「そう畏まるな、お前達も配属について支部長に殴り込みにいくのだったのだろう」

「い、いえ決して殴り込むというわけでは…」

何故無理矢理連れてこられた俺までこんな危うい状況に陥らなければならない。

一歩間違えれば不敬罪で、首がサヨナラではないか。

「案ずるな、フォル元帥は気さくで優しいお方だ。そんな簡単に首は消えぬ」

まるで心を読み取ったかのように笑い出した大将は、とりあえず着いてこいと言われたので、歩を進める両大将の後ろを着いていく。

「我が名はメタノイヤ、軍の大将の一人である。で、こちらが」

「アングレカムだ」

「存じております。兵の中であなた様方を知らぬものはおりません」

零は嬉しそうに話す、漫画であれば花が周りに咲き誇りそうだ。

俺は一向に話に入れず、零と両大将は花を咲かせている。

三人の後ろを歩くように着いていく。

そしてそのまま時間は過ぎていき、虚しいかな、話に入ることなく目的地へと到着した。

一介の兵として、憧れの存在が目の前にいるのに何も出来ずに終わってしまいそうだ。

恐らく後でヘタレだ何だと零に弄られるのだろう。

メタノイヤ大将は目的地の部屋の前につくと、背筋を伸ばし、ドアをノックする。

「入れ」

「はっ」

部屋の中から若い男の声が響く。

大将は短く返事をすると、ドアを開ける。

だが自分が先に入るのでなく、俺達を優先した。

なんというイケメン、なんという紳士。

無意識でそれとは、果たして落ちない女はいるのだろうか、男の俺でも揺れたぞ。

「さて」

部屋の中では、青年がこちらを見ていた。

濡れたようなツンツンした黒い髪、黒い真珠のような目、黒い服、黒いブーツ。

全身真っ黒の青年が、コーヒーカップをこちらに傾けた。

「珈琲は好きか?」

 

 

 

 

 

 

 

「俺はフォルだ。まぁ軍に入隊したらいつの間に元帥なんてもんになっていてなぁ」

元帥はまさに夏の青空のような爽やかな笑顔である。

コーヒーカップを口に運び、香りを堪能する仕草は世にいうイケメンである。

「元帥、我々に用件がお有りではないのですか?」

「ん?あぁ、そうだそうだ。アングレカム、そろそろ客が正門に到着する頃だろうから迎えにいってくれ」

「承知いたしました」

「……元帥、私の話をお聞きでしょうか」

「もちろん、それに関する人物だ」

アングレカム大将は元帥に一礼すると、外套を翻し部屋を出ていく。

元帥はそれを見届けると、ワクワクした面持ちで俺達をみた。

その目は期待がこもった目で輝いている。

とても嫌な予感がしたのは言うまでもない。

「夜月二等兵、バーナー二等兵。今回二人には『天界』との友好を築く要として、支部統括兼特殊攻戦部隊、天界次期王となるウル家第三皇子天空神ゼウスと太陽神ーーーー」

「ま、待ってください!!!元帥っ!!」

「おう、何だ?バーナー二等兵

「話が読めませんっ!?」

「ふむ。要はだな、天界との友好の証に我々下界からだな」

「そういうことではありまぬ!」

俺と零がガタリとコーヒーカップを揺らす。

それに元帥は「おぉ危ない」と珈琲の満ちたそれを押さえた。

元帥の話し方だと、まるで、いや本当に天界が存在しているようではないか。

 

「それでは説明が足りんだろうが、フォル」

 

 

あまりの気配の無さに、驚き振り替える。

それに気づけなかった大将は立ち上がり、腰の刀を抜刀する。

「やめろメタノイヤ!!客人だ!」

「っ……!!大変なご無礼を……失礼しました」

メタノイヤ様は、顔を歪ませると非礼を詫びるように深々と頭を下げる。

「大丈夫大丈夫、ノックしないのは悪い癖なんだ。こちらに非がある、すまんな」

客人は笑顔で手を振る、そして大将からゆっくりと元帥へ視線を移すと寂しげな目をした。

「……久しぶりだなフォル」

「あぁ、レイト。あいつらは元気か?」

「二人共頑張ってるよ、本当に」

「そりゃ良かった」

元帥はレイトと呼んだ客人を隣に招く。

二人は身長が同じくらいであるが正反対のように見える。

元帥は黒く、そして客人は真っ白であったからだからかもしれない。

客人は、後ろに控えていた女の子に何やら話しかけ、うなづいたのを見届けると扉からゆっくりと歩いてくる。

夏だというのに巻かれた白いマフラーを揺らしながら、やはり暑いのか、白いサラサラとした髪を耳にかけて隣に立つ。

「紹介しよう、レイト=ウルという我が友であり、我が義弟である。次期天界の王だ」

「紹介の通りレイトだ、よろしく。そんであっちにいるチビはアモル」

「チビ」といった瞬間、まるで動くはずがない彼女のツインテールが跳ね上がった気がした。

女の子は手を腰の後ろで組み、軽く足を開いて立っていた。

背丈と整った可愛いらしい顔を見れば年相応の女の子なのだろう。

だが、そうは見えないのは立ち振る舞いのせいか、それとも腰にさした刀のせいか。

はたまた顔の右半分を黒い布で隠しているせいか。

「………アモル=テラスと申す。お見知り置きを」

彼女は少し黒がかった紅い伏せていた左目を開き、俺を見つめている。

まるで品定めするように隅から隅まで見ると、次は零にも同じように視線を移す。

俺はそれが何だかむず痒くて視線を逸らした。

すると客人は俺のとこまで来て、なんとおもむろに肩を回される。

「な〜んてアイツ、仕事中だから堅苦しいが普段はもうそりゃ、精神年齢幼稚園生かってぐらいにだな。まるで多重人格レベルで違うんだ」

「は、はぁ…………?」 

「……我が主よ、どうか御容赦を。お戯れも程々にしていただきたく」

少女は今にも飛びかかって来そうな殺気を零している。

それよりこの少女はなんなのか。

「ほら、レイト。説明してしまえ」

元帥は腰ほどの机に寄りかかりながら珈琲を啜る。

「そうだな、お前達にはまず『天界』を信じて貰わなきゃならんなぁ」

うんうん、と頷く客人は俺から腕を離すと俺達に背を向ける。

文字通り、背中を見せた。

ふわりと暖かい光が目の前を覆い隠す。

目を開けるとそこには信じられないものがあった。

人間ならば存在しない、「自由」を表す翼が。

御伽噺によると、大昔天界と争ったため人間は空を飛ぶ自由を奪われたらしい。

だが彼の翼は透けていて、よく描かれている鳥のような翼ではなく、形をなぞったような翼もどきと言おうか。

肩甲骨より下に着いているそれは、根本から徐々に燃えるような赤がっている。

「人間に翼は無いだろう?まぁ、でも俺のは『神』の翼だからなぁ。それより普段見慣れている翼は天使のものなんだ、勘弁してくれ」

「説得力の欠片もないな」

元帥はへらりと笑うとカップを置いた。

「欠片はあるだろうに……」

「いやぁ、ないな」

嬉しそうに話す元帥を見るに、このレイトと呼ばれる客人はかなりの信頼があるらしい。

しかも話によると義弟とかなんとか。

もう何がなんだかさっぱりである。

「さっぱりわからんって顔だな」

「あ、あぁ。はい」

「そうだな、じゃあ信用はあと。まずはこうなった経緯を説明しよう」

どかり、とソファに腰掛けると机の茶請けをガサガサとあさり始める。

「フォル元帥、私は厨房からお飲み物と菓子を頂いてきます。どうやら邪魔をしてはいけないようですので」

「悪いなメタノイヤ」

「いえ」

美男はなんともふんわりと笑うと部屋から出ていく。

レイトさんはそれを見届けると、咳払いをして俺達をソファに座るように促す。

零は「失礼します」と一言添えて、腰掛けた。

俺も零に倣う。

「さて、では本題に入ろう。先程も言ったがこいつはレイト。天界という場所の皇子様だ、次期王になる予定で、大雑把に言うと太陽神と天空神の役割を持つ」

「大雑把すぎるが、そんなとこだ」

「今回お前達の配属についてだが、これは前々からあちらから要望されていてだな」

「……あぁ、三年前から何度も頼み込みにいき、毎度毎度跳ね除けられ蹴られ、ようやく最近叶った」

「上は天界へ悪い意味で目を付けてたからな」

「元帥、上というと……?」

「……軍上層部のことだな。どの時代どんな場所でもお偉い所はドロドロ真っ黒でなぁ、歩けば陰口、座れば嫌がらせ…」

「いえ、あの元帥。恐れながら申しますと、元帥の口ぶりからはまるで天界が存在していることを、人間の代表とも言える方々が知っているような」

「いやぁ、全くその通りでございますよ。零二等兵。代表共は頑なにこの事実を皆に知られたくないらしい」

「……それでは本当に天界は……」

「ある」

客人は真っ直ぐで純粋な目で俺達を見る。

揺れる瞳には真剣さと熱を帯びていた。

その熱が本当に熱を帯びているように、じりじりと感じる熱意がどれほど真面目に、真剣に話しているのかを悟るには簡単だった。

「どうか聞いてほしい」

彼の雰囲気が一瞬にしてガラリと変わる。

まるで本当の、本物の「支配者」のようだ。

前に立つのに慣れているような、そんな王者的振る舞い。

「俺は天界と下界の友好関係を再び良きものとしたいんだ。それこそ、御伽噺のように」

「……再び?」

「あぁ。かの古の大戦により関係は一気に崩れ落ち、下界は我らの恩恵を受け入れなくなり、誰もが天界という存在を忘れ、気づけば我々は空想の御伽噺というしまいだ。だがそれに関わらず、天界と下界での間に争いは絶えない。誰に気づかれることなく死傷者が増えるばかり」

静かに膝の上で握られた拳は力みにより震えていた。

悔しさが滲む顔は、場違いにも甚だしい程に輝いて見えた。

この時に既に、レイトという存在に惹かれていたのかもしれない。

彼と、友になれたらどれほど楽しいだろうか。

それだけで、信用するには事足りてしまった。

「そこでまず外交からではなく、軍事関係からどうにかしようとした。このままではまた大戦が始まりかねんからな。そしてそこから信用と関係を取り戻せればいいと思っている」

彼は再度俺達を真っ直ぐと見抜く。

「君達を道具として、橋渡し役に使うように見えてしまうかも知れない。もしかしたら、君達の命が危なくなるかもしれない。それを承知で頼み込む」

 

「汝らの命運、どうか我が悲願に預けてはくださらないだろうか」

 

風が吹いた気がした。

さわりと髪を揺らして通り過ぎた風は、やけに乾いて爽やかであった。

まるでこうなることが運命であったかのようだ。

彼ならどこへとも連れて行ってくれそうだ、それこそ太陽まで手が届きそうな、あの青い空まで。

彼と見る景色はどれほど綺麗だろうか、どれほどの頂きだろうか。

好奇心は猫をも殺すとはよくいったものだ。

零を見ると、あいつの心も決まったようだった。

俺は一呼吸、ゆっくりと時間をかける。

 

「どうか我らが命運、貴公にお頼み申し上げる」

 

 

 

 

 

『 』

彼女は向日葵が良く似合う、笑顔が可愛らしい人だった。

 

「…………や…だ」

 

怒った顔はとても怖くて。

 

「どう…………彼……」

 

焦る姿は、ちょっと可愛い。

 

「……目を……」

 

全部、覚えてる。

 

「おに…………ら……ない」

 

初めて出会った雨の降った寒い冬も。

 

「いか…………で」

 

花を数えた優しい春も。

 

「……ないで」

 

森を走り回った夏も。

 

「いかないで………」

 

落ち葉にダイブした秋も。

 

「どうして……?」

 

覚えてるよ。

 

「全部……覚えてる……」

「どうして……っあなたが……」

彼女の目から僕の頬へと涙が溢れる。

雨音が聞こえる。

だが体の感覚はない。

「どうして……?貴方が、貴方が何をしたというの……?」

彼女は僕の頬を、冷えきった、震える手で脆い物を触るように撫でた。

「……君に、恋をした」

震える唇からは、今まで言えなかった言葉が驚くほどあっさりと流れ出た。

「知ってたよ……、だって貴方、わかりやすいんですもの……」

彼女は瞼を震わせながら、優しく微笑んだ。

「君の……その……笑顔に、最初に恋をした」

命が流れ、消えていく感覚だけが僕を取り巻いた。

消える前に、無くなる前に、彼女が、いなくなる前に、伝えたい事がある。

「君の事が……ずっと、好きだった……」

彼女の瞳はもう涙でいっぱいで、とまることなく溢れている。

「それも…知ってるよ」

「………看病したあの夜も」

「うん」

「紅茶の入れ方も……」

「覚えてる」

「木下で」

「ピクニックした事」

「よかった……」

僕は霞んでいく視界を憎らしく思った。

「これで……」

「最後じゃないよっ」

彼女は声を荒らげて僕を抱きしめた。

「最後じゃない、また会えるっ。例え貴方が全て忘れてしまったとしても私が全て忘れてしまったとしても、二人共何も覚えていなくても」

潤む深紅の瞳は僕をまっすぐ見つめた。

「今度は私が迎えにいく、出会った冬の雨の日のように。必ず、貴方を見つけてみせるよ」

「……約束だ」

「えぇ」

「僕が、違う人に恋していても?」

「その時は友達になりましょう、恋人を嫉妬させてみせるわ。なんたって、私の得意分野ですもの」

「ははっ……嫉妬は、狂気にも、なるんだろう」

「そうよ、その時は貴方を守るわ」

「それは、安心……だ、な」

僕は最後に大きく息を吸った。

君が飛んでいた空は、こんなにも広くて、でかかったのだなぁ。

「君との……初めての、約束……だ」

「えぇ、必ず守るわ。魂に誓って」

「そう、か……」

「……最後に」

「……何?」

「名前、教えてくれないか……」

「………「愛」という意味よ」

「……そうか、そう、だね。その方が、見つけがい、が……あ……る、な」

僕は、最後に彼女の優しい顔を見て、瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ディック…………私も貴方に恋をしてたのよ」

 

「私だけ、言えないなんて、ずるいわ」

 

「…………ずるい」

 

「まだ、私の本当の名前、教えてないよ……?」

 

「…………私もすぐ、いくわ」

 

「アイツを…………私も……」

 

「だから、待っててね」

 

「大丈夫、私強いもの。お兄ちゃんのお墨付きよ」

 

「私ね……」

 

「私…………アモルって言うの」

 

「……レーディック、私の名前はアモルよ。しっかり探してね、じゃなきゃ、忘れちゃうよ」

 

「…………来世で、今度は、友達から始めましょう」

 

「死神になんて……渡さない」

 

「本当は、私も、連れていって欲しかった」

 

「ディックの馬鹿、阿呆、貧弱」

 

「死神になんて……やられてんじゃないわよ」

 

「馬鹿、馬鹿………………馬鹿」

 

「どうか彼が来世は……幸せになりますように」

 

「どうか、約束が、守まれませんように」

 

 

 

 

これは、約四千と六百五十年前の、罪と人から始まる、全ての元凶の話。

失楽園 第1章 1節

8年前。

世界消滅の危機を天界と共に救い、新たな英雄、バーナー・ジュリアスが誕生した。

その後、人間たちの象徴として称えられ、また英雄により『天界』は存在するものだと世界中に知れ渡る。

その影響か、太古の昔に失われていた神々の恩寵と加護が天界の王である主神ゼウスによって、人間に再びもたらされる。

このまま永久の平和がもたらされるはずであった。

ある日、歴史に埋もれていた下界と天界の、史上最悪の大戦で結ばれていた休戦協定の取りやめを、天界が要求してきた。

何を今さらと誰もが思った、今となっては何故そんなことを天界が要求したのかもわからない。

それは絶望の到来を意味していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全てがパラパラとめくられるように見えた。

目の前の景色は酷く汚く、それでいて鮮明だ。

放たれた扉、踏み出す足、はためくフード。

舞う砂ぼこりが太陽によって輝き、そして北風に攫われていった。

その一瞬一瞬を確かに頭に刻み、足で大地を踏みしめた。

音が広まり、視界は速さを取り戻す。

血と硝煙の臭いが鼻をつく、次に銃声が鳴り響いた。

俺が降り立ったのは、戦場だ。

そしてここに降り立った奴らの存在理由はただ1つ。

生きるか、死ぬか、だ。

「何つったってんだ、行くぞ」

後から降りてきた奴が俺の隣を駆け抜けていく。

俺も地面を蹴りつけた。

ターゲットを絞り込む、今目の前を低空飛行している長刀の天使だ。

俺は大剣と言うには細く、また刀と言うには長く真っ直ぐな黒い剣を腰から抜き取る。

そのまま勢いつけて、敵に切りかかった。

 敵の首は宙をまい、鈍い音をたてて転がる。

「あ、あいつらだ!!戦闘態勢をとれ!」

俺は剣を振り払い血を拭う。

「『仮面』の連中だっ!!!」

戦闘開始のベルが鳴る。

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は剣を腰の鞘に収める。

黒いフードを片手で払いのけるようにとり、顔につけている銀の仮面を首まで下げた。

白い息が口から漏れる。

血溜まりに浮かぶ白い羽根が沈んでいくのをただ見ていた。

「ルクス」

「…………なんだお前か」

「撤収だ、ここの天使もあらかた片付けた」

「あぁ」

俺は顔をあげる。

同じく銀の仮面をつけた男が金髪を揺らしながらこちらを見ていた。

「やはり強いな、ルクス」

「ただのパワーズ五体だろ」

「そのただのパワーズ五体は軽く一万の兵士を殺すんだぞ」

「……ジェイド」

「はいはい」

「迎え、来てるんだろうな」

「今日はしっかり手配したからな」

「……お前と組むとろくなことが無い」

「それどういう意味だ?」

「ふっ、そのままの意味だ」

「……ほら、ナイスタイミングだ」

ジェイドが指さした方を向くと、魔導式車両が砂煙をあげながら荒野を突っ切ってくる。

運転席にも、同じく仮面をつけた奴が座っている。

車は乱雑に俺達の横に止まり、勢いよく扉が開かれる。

飛び乗るように乗り込み、座席に座る。

すると扉が閉まった途端に車は走り出した。

座席に体が叩きつけられる。

「っ、おい。今日の運転誰だ……!」

「こんな雑なのはアネモスしかいないわルクス」

「トレイスじゃないか」

「久しぶりね」

懐かしい声に気分が上がる。

褐色肌に白髪の我が団自慢のアサシンだ。

トレイスは命の恩人であり、まだ戦士として若い時に戦場で助けてもらった事がある。

露出の多い服を着てはいるが、それも彼女の一つの武器であるのだから俺がどうこう言える訳ではない、だが、目のやり場に困るのも事実だ。

「前にあったのはノーランスの戦場の時だから……一年程かしら?」

「今日は何処に潜入任務してたんだ?」

「ごめんなさいね、まだ極秘なの」

彼女は口に指をあてて微笑んだ。

「それよりこれを」

前席のポケットからくしゃくしゃになった新聞を取り出した。

俺はそれを手にする。

タイトルはこうだ、『絶望終わらず』。

『本日で天界との戦争も八年目を迎える。終戦への兆しは一向に現れることはなく、むしろ激しさを増す一方である。そんな我らの唯一の救いである「仮面」と呼ばれる謎の組織の活躍がこれから鍵を握るであろう。彼らはとある小さな帝国の騎士団であるらしいが、謎が多く、情報が確かであるとは言えない。その為に信憑性のあることは一つだけだ。それは、人間の味方である、ということだ。』

俺はそこまで読んで顔を上げた。

「俺達、そういえば名前なかったなぁ」

「名前なんて決めてる暇あれば、一人でも多く天使を殺す」

「えぇ……俺は名前あった方がかっこいいとは思うけどなぁ」

「……そんなものに命を預けたいとは思わんな」

「ルクスは相変わらずクール&シャイボーイなんだから」

「シャイじゃない、俺は無口なだけで内気なわけじゃない……」

俺は指で頬をつんつんするジェイドを追い払い、新聞の続きを読む。

『だが最近とある戦場に智天使一体が出現したという情報が入った。智天使とは四枚の翼を持つ上位階級第二位の種だ、奴らは一体で能天使五十体以上の力を持つと言われているが個体差もあるので定かではない。ここ八年間、智天使以上の天使が現れた事は一度もなく、政府も対応に追われている。』

「………ケルビムだと…」

「そう、ケルビム。ついに天界は動き出してきたのよ」

「で、でもケルビムは……」

「本来なら下界に降りてくるなんてことは滅多にない、だろ」

「だけど今さら出てくるなんて、片付けるつもりなら最初から降りてくればいいじゃないか」

「ジェイド……あのな、奴らと俺らじゃ体感時間が違うんだよ。俺達からしたらもう八年、けどあっちはまだ八年だ」

俺は新聞を丁寧に畳んで、前席のポケットに再び突っ込んだ。

すると運転席から軽快な声が、なんとも響く音で豪快に口を開いた。

「お取り込み中申し訳ないが、そろそろ帝国に到着だ!」

アネモスは運転中だと言うのに、座席から身を乗り出し大きな手で俺の頭を掻き回した。

「ガキ扱いすんなよ……」

「おぉっ!?ルクスは俺から見たらガキんちょさ!」

「そうゆうことじゃなくてだな……」

「前を見なさいアネモス」

「おぉ、トレイスは相変わらず冷たいなぁ…」

アネモスは前に向き直り、ハンドルを握り直した。

それから数分しないうちに車は止まった。

おそらく帝国の大門で検問を受けているのだろう、車はすぐに動き出す。

そうこうしないうちにまた車が止まったと思うと、勢いよく扉が開いた。

「ほらよ、着いたぜ」

俺は二人共降りた後に飛び降りる。

「あぁ〜っ!腹減った!飯いこうぜルクス!」

「ちょっ……」

ジェイドに肩を組まれ、無理矢理引っ張られる。

目の前には赤レンガを基調とした建物、我が騎士団本部兼団員寮の門がすぐそこにあるというのに、ジェイドは反対方向へ歩いていく。

あちらはレストラン街だ。

俺は久しぶりにトレイスとじっくり語り合いたいのだが……。

トレイスは軽く手を振ると、スタスタと歩いて本部へ入っていった。

「さぁ、俺はあそこのカルボナーラが食べたいんだよなぁ」

「おいっジェイド……!」

俺は引っ張られるままに連れて行かれる。

休日であるからか、まだ朝だというのにレストラン街も賑わっていた。

一月半ばだけあり、人々はかなり着込んでいる。

色とりどりな人々の間を縫うように進み、一つの店へ入った。

のどかな音楽が店内を静かに流れている、外とは違う世界のようだ。

客はチラホラいるが多くはないだろう。

テーブル席に連れていかれ、どさりと座った。

俺は即立ち上がろうと机に手をつく、だがジェイドは俺の肩に手を置いた。

「俺の奢りってことでいいからさ!」

「…………金は返さんぞ」

重い腰を降ろして、メニューに手を伸ばす。

カレーやオムライス、ピザなど朝には重いものが並んでいる。

珈琲とサンドウィッチにしよう、やはり朝といったらこれだ。

俺は頼むものをジェイドに伝えてから、窓の外を見た。

冬ではあるが、太陽はさんさんと降り注いでいる。

眩しさに目を細めつつ、襲いくる眠気に思わずうとうとする。

こんな日は窓際で布団をひいて、猫のように寝たいものだ。

薄れゆく意識の中、誰かが囁いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お〜き〜ろ〜!!!!」

懐かしい声が頭に優しく響いた。

重たい瞼を静かに持ち上げる。

そこは懐かしいベッドと、暖かな太陽と珈琲の柔らかな香りのする大好きな部屋、そしてあの笑顔がー-ー。

 

目の前には何も無かった、ただ白い空間に一人ポツンと座っていた。

代わりにいたのは空を浮かぶ少年だ。

「あれ?おにーさん、どうしたの珍しいね?」

妖しく微笑むそいつを睨みつけた。

ここはさきほどの喫茶店でも、大好きな部屋でもない。

ただの夢、精神世界だ。

こいつは八年前から居座っている、こうしてたまに俺の前に現れるのだ。

「今日はどうしたの?僕になんか用?」

「………ただ寝てただけだ」

「ほんとに〜?」

「失せろっ!!お前はただ力を貸してくれればそれでいいっ」

「も〜ぅ、寂しいなぁ〜」

少年は人形を握りしめた。

「あ、そうだ。教えてあげるよ!……近づいてきてるよ」

「……何がだ」

「上位階級第一位セラフィム

少年は楽しくてたまらないといった表情で俺を見た。

「…………馬鹿馬鹿しい」

すると視界がブラックアウトした。

良かった、これで静かに寝れる。

俺は再び目を閉じた。

 

 

「ルクスっ!!」

 はっ、と飛び上がるように目が覚めた。

「何寝てんだよ、珈琲、冷めるぞ」

「…………あぁ」

ジェイドの声が頭に響いた。

俺は髪をかき揚げ、カップの持ち手に手を伸ばす。

すると不意に、「ほら」と声が聞こえた気がして窓の外を見た。

そこには変わりない賑やかな街がある。

人々は上を見上げ、何かを指さしていた以外は。

カップがカタカタと音を立てて揺れている。

俺は思わず立ち上がった。

「……天使だ」

ジェイドも机に手を置いて立ち上がる。

黒い軍服を纏った男の天使は、軍帽のつばをつまみ顔を見えないようにしている。

フレアコートととんびコートが合体したような、ひらひらと風に揺られている。

男はゆっくり、瓦屋根につま先をついた。

群衆は皆立ち止まって彼を見ている。

その翼を見るまでは。

「さて、と。目当てのものは…………」

彼の翼は、六枚だ。

三対六枚で、二つで頭、さらに二つで脚を覆い、残りの二つで浮遊している。

俺は息が止まった。

「……上位階級第一位…セラフィム

この世界にはどうしようもないことが一つある。

世界が三つに別れていること。

朝が来れば昼が来て、夜になること。

どれも否である。

それは『死』だ。

この世界のサイクルは金でも欲でもない、生か死か、である。

俺はどうしようもない『死』の予感が足から這い上がってくるのを感じながら、仮面を手にした。

仮面を顔に付け、フードを深くかぶった。

「おい、ルクスお前……」

ジェイドが悟り、だした手は何もない空をからぶった。

「ルクス!!」

バタン、とドアを勢いよく閉めた。

外の世界はまるで時間が止まったようだ、人間たちは天使の美しさに目を惹かれ、口を開けている。

震える手で剣の柄を握りしめた。

天使は俺に気づいたのか翼を閉まった。

「お前……最近噂の『仮面』とやらか……」

「あぁ、お前らを殺すためにいる」

「そか……………騎士として、名を聞こうか」

俺は一度挑発かと思い、踏みとどまる。

俺の名前を聞いた所でなんだというのか、名乗ったからにはあちらも言うだろう、逆にこちらは情報を得られる。

こちらは仮面とフードで顔を隠している、戦場では一発でバレるが。

「ルクス=オプシオス」

刹那、たった約二秒目を離しただけで奴を見失った。

そして気がつけば身体は後方へ飛ばされていた。

轟音と同時にレンガ造りの壁に背中を叩きつけられた。

ギリギリと首を締め付けられ、足は地面スレスレを浮く。

「我らが王ゼウス……なんざ言いたくもない、馬鹿白マフラーがお似合いさ」

「お……前ッ…………!!」

「さてルクスとやら、お前さん人間じゃないな?…………いや、人間か。でもなんだこの力は……」

天使は俺を吟味するように目で舐め回すと、首から手を離した。

そしてまるでハンマーを全力で叩きつけたような蹴りが腹に飛んでくる。

再び壁に叩きつけられた俺はズルズルと壁に血のあとを作りながら、地面に手をついた。

「中に何かいるな……お前」

「……はっ…………ぐぁ、ぁ、はは、悪魔さ」

「悪魔?」

「人間は悪魔と契約したのさ、どうしても、お前らを殺したくて……殺したくてな!!」

「…………哀れだな、ルクス。悪魔と契約するということは、代償は大きいぞ」

「天使様にはわからんさ、例え哀れでも惨めでも醜くても、這いつくばってでも、叶えたい復讐があるんだよ…………お前らを殺すっていうな………」

そうだ、思い出せ。

俺の中のあいつが声をあげて笑っている。

あいつには、背中の皮をやってやった。

あの時の痛みが背筋を突き刺す。

地面に広がる血溜まりと、頬を流れる汗と涙を。

思い出せ。

あの時の地獄を思い出せ。

火の嵐が包み込んだあの日を。

俺は目の前の天使を憎しみを込めて睨みつけた。

「…………まだ、名乗っていなかったな」

やつは軍帽を脱ぎ捨てた。

「インセット=テラス。王ゼウスの命により参上仕った」