アヴェスター 第四章
それは太陽だった。
だがある日を境にそれは下界へと突き落とされてしまう。
不幸なことにそれは己が何者かを忘れ、挙げ句に人間と恋にまで落ちた。
そこで太陽は優しさを知った、愛を知った。
そしてそれは長い時を過ごした、それはそれは楽しい時であっただろうに。
さて、話は変わるが人間とは実に容易く心変わりする生き物だ。
それは命の危機、莫大な富に、数多の欲望にすぐ目が眩む。
醜く冷酷で美しい生き物だ。
それでは、欲望を目の前で踊らせながら「代わりに太陽を寄越せ」とでも言ってみようではないか。
眩みはするだろうがそうはしないだろう、何故なら長い時共に過ごした同胞を安易につき離すほど彼らはまだ落ちこぼれた種族ではなかった、いや人種ではなかったのだ。
では、彼が「人間ではない、人間の皮を被った異形の力を持った化け物だ」と知ればどうだろう。
今まで過ごしてきた者は自分たちに危害を加える化け物だと知ったら人間は太陽をどうするのだろうか。
さて、先ほど言ったように人間とは実に心変わりするのが得意な生き物だ。
数多な欲望の中でも、知識欲、探究心や好奇心に勝るそれはない。
太陽は一体どうなったのだろう。
物語の結末など、案外容易く想像できるのだ。
小鳥のさえずりが響いた。
なんだか変な夢を見ていた気がする。
俺はベッドから体を起こし時計の時刻を確認する。
現在朝の七時二十分を過ぎたところだった。
大きな欠伸をついて洗面台に向かう。
今日はいよいよ出発の日だ。
後日届けられた資料にはしっかりと目を通したし、必要な荷物もまとめた、体調もよし、天気も良好、実に良い出発日和だ。
バシャバシャと朝一番の冷たい水で洗面し、朝食にトースト、昨日の余りのポタージュ、それからサラダを用意して机に並べた。
いつもの隊服に袖を通してから席に着く。
誰が聞いているわけでもないが手を合わせた。
「いただきます」
そうして下界最後かも知れない朝食を終え、俺はもう一度部屋を見回した。
入隊してきたのは四年前の十二歳の時だ、あの時はバッグ片手に大きな夢を抱えて調子に乗っていたものだ。
過酷な訓練と思い知らされた現実に何度となく夢を諦めかけた、だが漸く剣を握らせてもらえたのが二年前、そうして剣の訓練で次席にまで登りつめてみせたのはつい五ヶ月前。
実戦経験はなく、まだ本物の真剣に触れたことはない。
あるのは集団戦闘訓練と模擬戦のみ。
伝承の通りならば、そこは戦いを好む世界、戦いに生きる世界だ。
俺の力がどこまで通用するのかは試してみたい気持ちもある、だがそれ以上に俺の夢はそこで叶えられるのだろうか。
俺は強くなって、己を乗り越えるのだ。
自分を乗り越えた先の景色はそれは世界が美しく見えた、と幼き頃愛読していた本に書いてあった。
俺の小さな頃はそれはそれは弱虫で、世界の全てが恐ろしく見えたものだ。
それは無知であるがため、非力であったためかも知れない、俺は篭るように毎日読書に明け暮れた。
そこで出会った話は、年ごろの少年ならば胸を熱くするものや人生をとくものなど様々であったが。
俺は特にか弱い主人公が自力で強くなって信念の為に走る物語が好きだった、だから俺もこのようになりたいという夢を今日まで温めてきた。
まだ俺の信念というものは見つけられない、だから向こうで見つけられたらいいと思う。
俺はそうして今までの自分への決別と、感謝のために部屋に向かって一礼した。
他の同期隊員たちはすでに配属先に向かうためにここを立ち去っていたらしく隊舎は人気がない。
ここは確かに西の大帝国支部であるが、規模は東西南北の中でもっとも小さく立地も深い森に囲まれた草原地帯だ。
さらにこの支部は他と違い、本部から養成所としての機能を担っているため、この世界軍の訓練生を一気に請け負っているので、その訓練生の配属が決まってしまえば一気に数が減るのも道理だ。
俺はまとめた荷物を支部玄関前に置くと、目の前の人の様子を伺った。
「よしよし……良い子だ」
彼女は黒い馬のたてがみを撫でた、というよりこれは馬ではない。
「ペガサスよ…これ…」
「零、遅かったな」
後から来た零は、後ろで興奮した様子でこの生き物を見つめている。
彼女は無類の動物好きだ、そして何より好奇心と知識欲が強い。
「二人とも揃ったな」
そうして、アモル隊長は俺たちの前にで腕を組んだ。
「では出発だ、バーナーお前が前で手綱を握れ。後ろで零はバーナーをしっかり掴めよ」
隊長は驚くほど冷静に準備を始めた、がちゃがちゃと鞍に俺たちの荷物を結びつけていく。
「あ、あの…!」
「さあ天馬に乗れ、こいつは認めたものしか乗せないが今は機嫌がいい、そのうちに天に行ってしまおう。ついたら忙しいからな」
ほれ、と促され俺は鐙に足をかけた、そうしてあっという間に二人ともペガサスの上だ。
「いいか、そいつは天一の天馬だから舌を噛まんようにな」
そして馬の尻を二度叩かれると翼を広げた。
「た、隊長!これ、ど、どうやって、え」
「しっかり握ってろ」
「ええ!?え、ええええええええええええええああああああああああああっ!!!」
「きゃあああああああああああああああっ!!!!!!!!!」
そうして世界は一瞬にして回転した、周りはぐるぐるとまわり続ける、上が空か下は空かわかったもんではない。
風はビシバシと容赦なく顔を叩き続ける、息なんぞ出来たものではなく、必死に手綱を握った。
今にも参りそうだ、吐き気がする、本当に天に召してしまいそうである。
「わわわわわわっわわっわわわわわわわっわっ!!!!!!!」
後ろで零も相当混乱しているようで、わけも分からない言葉を連呼している。
俺は全てを拒否するように、ぎゅっと瞼を閉じた。
そうして雲という雲を超えて、風が落ち着いたその時に俺はゆっくりと瞼を開く。
それはまさに天国と言うに相応しい光景であった。
雲の上にいた、晴れ渡る雲の上にいた。
太陽が妙に近くにある気がした、いや近くにある。
そこには島が浮いていた、まさにおとぎ話。
これは浮遊島だ、幾つもの浮遊島があり、その中でも大きな影が一つ前を通り過ぎた。
見上げるとそれは山のような島が浮いていた。
「着いたか」
「アモル隊長、これは」
そうして翼を広げた隊長の背中には四枚の翼があった。
純白の、絵本の様なそれに思わずみとれる。
「ようこそ人間、天の都『アクロポリス』へ」
空飛ぶ魚、伝説の龍、一角獣、天使。
全てがこの空にいた、御伽噺は雲一枚上に存在したのだ。
俺は徐々に緩み始める頬を抑えることなく、輝かんばかりの眼でそれらを見つめた。
伝承の通りだ、浮遊島、魔獣、天使、全てが本物だ。
「さあ、こっちだ」
隊長は微笑みながら、最も大きな浮遊島へ飛んでいった。
それを俺達を乗せる天馬が後を追う。
島の周りを回りながら上へと目指していく。
「これは天界の首都にあたる浮遊島で、多くの軍機関が集まってる中心地だ。他の島にも駐屯地はあるが本部はここだ」
そうして遂に島の入口となるらしいアーチを潜り、その大地へ降り立った。
そこは下界と同じように草木が生えていた、そこは同じだった、なのにまるで産まれたての赤ん坊が初めて立つかのような気持ちで大地へそぞろと足をつける。
「早く降りろ、今日はハードスケジュールなんだ」
隊長は俺を天馬から叩き落とす、無残にも最初に感じた大地は頬に冷たさを感じた。
零は案外あっさりと地面に降りると浮き足立つのか、地面を踏みしめている。
「今日はこれからまず、天界を案内しながらレイトの所に行って、また天界を巡りながら軍本部に行く、それから時間が余ったら鍛冶屋に行って、やっと本部だ」
「鍛冶屋、ですか?」
「当たり前だ、これから付き合う相棒も無しに天界を生きていく気か?お前ら」
「確かに.....」
俺達には自分の武器がない。
俺は剣が、零には銃器が、それぞれを今まで軍が支給していた物を使っていたからだ。
「死活問題だからな、本当は一番最初に行きたいところだが。まずはレイトに到着の挨拶をしなくちゃならない」
天馬は自らの役目を終えたことを悟り、大空へと羽ばたいて行った。
俺達の荷物は乗せたままだが。
そうして漸く現実がはっきりと見えだした。
後ろは崖で、目の前には並木道一本が果てしなく続く。
坂あり谷ありのような地形の先にそびえる城を中心に丘のように街がある。
すると隊長はいきなり剣を俺に投げつけた、零には銃を。
「まずは御手並み拝見、ということで城下までは徒歩でいく」
「御手並み.....って」
「生き延びる術が備わっているか、ってことだ」
そうすると隊長は、並木道ではなく森の中へ足を踏み入れた。
零は俺に小さくうなづいて見せ、隊長の後に続くのに俺も続き、最後尾を歩く。
まさか、城下を囲む森が獣だらけなんてことがあるわけがない。
と思っていたのはどうやら非常識であったらしい。
「うわあああああああああああ!!!」
森を駆け抜ける、後方では四本脚の何かが俺を追いかける音が響き、赤い体躯が視界の端にチラつく。
「マンティコア、好んで人を食らう獅子よ!!」
「どうすればいいんだ!?」
「剣は通るはずよ、確か.....」
その時奴は俺達を通りすぎた、まずいと思った時には既に前を陣取っていた。
サソリの尾のようなものを不気味に揺らしている、顔は人のそれだ。
涎が口からこぼれ落ち、地面に跡を作っている。
「あの尻尾を切り落とせば大人しくなるらしいわ」
「簡単なわけないよな.....」
俺は借り物の剣を構え、足を開いた。
獣は唸り声をこぼし、俺達を常に睨んでいる。
「零は後方支援を頼む!」
そう言って俺は足を踏み出し、走り出した。
赤獅子は尾を振りまし、まるで槍のような一撃が頭上に降る。
俺は咄嗟に奴の四肢の下に滑り込み、反対側に滑り出る。
発砲音が背後に鳴り響く、不発弾が一発俺の足元で地面を抉る。
そして獅子は雄叫びをあげて悶える、どうやらどこか急所に命中したらしい。
俺は立て直し剣を構えた。
このチャンス逃す訳にはいくまい。
「ハアァっ!!」
俺はもてるかぎりの力で尾の根元に剣を振り下ろした。
食いこんだものの切れるような硬さではなく、多少の被害を与えただけで目の前の獣は元気がいい。
俺はこのまま体をもって行かれる前に剣をぬき、大きく一歩後退する。
「零!全然通らない!!」
「そんなはずは.....」
会話をする隙間などあるわけもなく、鋭い尾による攻撃は激しさを増すばかりだ。
それ以降俺達は防戦一方に追いやられ、まさに蛇に睨まれた蛙を身をもってしる。
これは拙い、このままでは押される一方だ。
「邪魔」
すると何者かの手によって俺は後方にどさりと尻をついてしまう。
そこに追い討ちをかけるようにサソリの尾が俺を貫かんと刺しうがとうと目の前にあるそれを、いとも簡単に弾いてみせた。
それはアモル隊長がまさに居合抜きをしてみせた瞬間だった。
逆手にもつ刀から火花が軽く散っていった。
斜め後ろから見る隊長の目は俺を写してはいなかった。
「想像以下だ」
そうすっぱりと言いはなった、あまりにするりと口から出てきたもので、うつろに隊長をみていた。
隊長は一足飛びにマンティコアの尾を下から切り上げた。
紙を切るような手軽さに目を見張る、そして落ちてくる尾をボールのように蹴り飛ばし、マンティコアの顔面に叩きつける。
あまりの仕事の速さに零は獅子の後ろで唖然としている。
人食い獅子は雄叫びをあげてパタリと地面に倒れた。
ごくりと喉を鳴らす、失望させてしまっただろう。
所詮は人間と思わせてしまったに違いない、俺は隊長がなにか喋るのを待つのに息を詰める。
隊長は刀の血を払うと、刃を上にして滑るように、静かに刀を納めた。
「及第点ではあるな」
そうして俺達に背を向けた。
「想像以下だが、やる気はあるようだ」
アモル隊長はそうして再び森の中へと消えていってしまった。
俺は地面にてしばらくの間、口を開けてその影を見ていた。
俺達はとんでもない所に飛び込んできてしまったらしいことを実感した。
だが同時にあのレベルに、俺も成れるだろうか、そう考えると、少し胸が高鳴った。
いやならなければ生き残れないだろう、それがこの結果で、あの言葉だ。
俺は喉を鳴らして、腰を浮かせて立ち上がる。
零の手を掴みとり立ち上がらせ、頷いて見せた。
少し不安そうに顔を曇らせながら、銃を構えた。
俺を先頭にして再び森の中を進んでいく、先程の騒動を考えなければ何とも穏やかで、気持ちの良い森であろうか。
木々の間から漏れる陽光は煌めき、風が森を通り抜ける音は爽やかだ。
周囲を警戒しつつ、一歩一歩踏みしめて歩く。
パキパキと歩く音が無駄に大きく聞こえる気がする。
そうして長らく歩き続けて、がさりと低い木を超えると、途端に地面が硬く感じて下見る。
「......街道、のようね」
零は銃を下ろして深いため息をついた。
足の下は、茶色とベージュの煉瓦造りの道が緩やかな坂を形成していた。
その果ては何やら街のようで、どうやらここは街と先程の入口を繋ぐ街道らしい。
街道は両側森に挟まれており、孤立した状態だ。
「あとは此処を五百メートル程進めば、都だ」
「隊長っ」
俺達は後ろからガサガサと出てきたアモル隊長に、咄嗟に敬礼をした。
それをみてため息をつくと、右手でちょちょいと降ろせと言った。
「お前達の事はわかった。とりあえずこのまま王都に案内する」
「不合格ではないのですね....」
零は胸に手を当てて盛大にため息をつく。
「力は足りんが、それは鍛えればいいことだ。問題はやる気、諦めないかどうかだ。残念ながらこれはどうにもならんからな。さあ行くぞ」
俺達は隊長を先頭にして街道を歩き出す。
とても静かな道だが、太陽が眩しく少し熱い。
「お前達は天界の文化、歴史を何も知らんだろう?」
「は、はい」
「そうだろうな......この世界に最初に混沌カオスが生まれた、次に大地ガイア、冥界タルタロス、愛エロスが誕生し、カオスから幽冥エレボス、夜ニュクスが生まれた。そしてこの二人から昼へメラ、大気アイテールが生まれる。他にも居るが、これらの神々は『原初の神々』と呼ばれる。世界はこうして始まったんだ」
「カオス、ガイア、タルタロス......エロス、エレ、エレボ.....」
「なるほど.....カオスはガイア、タルタロス、エロスと兄妹関係にあるということですか」
「まあそんなものだ、零は後でバーナーに教えてやれ。その後天空神ウラノスの政権の後、クロノス率いるティターン神族へ変わり、ティタノマキアを経て今現在のオリュンポス政権に成ったということだ」
「天界は政権が移り変わっていたのですね、人間のようで....以外です」
「人間が、真似をしているんだ。昔は天界と下界はよく交流していたからな、交易だって行われていたんだ。言語や魔法、戦術、武術、武器など何でももたらされたことだろうな」
「昔、なんすか?今は?」
「古の大戦によって関係は終わった。連綿と続いていくように思われたこの関係はヒビがはいり、天界は人間を見放した。それから二度とこの戦が起こらぬように天界は下界と見えない壁を作ると、関係があった頃の話はやがて語り継ぐ者がいなくなり、そして太古のおとぎ話になってしまったがために、人間は私達のことを忘れたというわけだ」
古の大戦、それは俺でも理解できる。
それはおとぎ話の中の一つ、それは遠い遠い昔、人間が強欲にも天界の地を欲しがったために起こった大戦だ。
それは大地が別れ、海は荒れ狂い、空は雷雨に覆われ、多くの命が失われたという話だ。
人間は天界との関係を持つ間に、自分たちの方が強いと錯覚し、天界で血を流したことがきっかけだと言われている。
「そこで我らが主、レイトは下界との関係を再び戻すために頑張ってるというわけだ」
「なんでですか?」
俺は純粋な気持ちで理由を聞いてみた。
すると隊長は足を止めた。
少しだけ口ごもるように後ろを振り向いたが、直ぐに前を向いてしまう。
「それがやつの後悔と、残された希望だからだ」
そうして寂しそうに答えると再び歩き出した。
これは聞いてはいけない問いだった、すぐ様俺は隊長に駆け寄り、謝る。
「も、申し訳ありません。軽率な発言でした」
「なに、レイトに直接言ってやれ。喜ぶだろう」
「ですが.....」
「神様だって後悔する。さあ、もうすぐ都に入るぞ」
そう言った隊長の言葉通り、目の前には白い石で作られたアーチがあった。
石のアーチの先には何も見えない、恐らくこの先に街があるという目印か何かなのだろう。
隊長が一歩先にそれをくぐり、俺と零は同時に足を踏み入れた。
と、同時に世界が一変した。
市場が眼前に広がり、人々の活気ある営みの声が祭りのような騒々しさである。
ここに来てから驚きの連続である。
まさか向こうには何も見えていなかったのに、足を踏み入れたらそこには街があったなんて。
零は不思議がってアーチを行ったりきたりしている。
「ようこそ。ここがウル家が治める都、そして天界の首都『アクロポリス』だ」
「こ、こここれはどういった仕組みなのですか!?」
零が興奮したように隊長に問い詰める。
アモル隊長は少しびっくりして身を引いた。
「あ、ああ。これは女神アテナの加護、アテナの防衛魔法だ。闇を寄せ付けないようにするためのもので、闇の者が許可なく入った場合ここはただの道見えることだろう」
「なるほど、だから女神アテナは都市の守護神と言われるのですね」
「闇の者とは何ですか?」
「悪魔や闇を持った人間、それから闇の子『ダーカー』」
「だーかー?」
「それはこれから話すことだ」
隊長は再び歩き出したが、人混みが凄くてついて行くのに精一杯だ。
だいたい昼時なのだろう、周りは良い香りが漂っていて、何となく腹も空いてきた気がする。
「ここは表街道だ。アクロポリスは丘に建てられた城塞都市、丘上の城を中心に円を描くようにぐるぐると建物があるんだ。そして道はだいたいまっすぐ一本で、全部城へ向かっている。もちろん住宅を縫うように横道などはあるが、迷子になったら大通りで縦道を探せばいいだろう」
「はい、わかりました。しかし隊長、一つ疑問が湧いたのですが、私達は天界でこれからどこに住めば.....」
「ああ、そんなことか。暗部の基地には隊舎がある、隊員の八割はそこで生活してるし安心しろ」
人混みの中を随分と縫って歩いて数十分。
隊長は街で生活必需品が買える店、服屋や美味しい飲食店などを教えてくれた。
そんなことをしてる間に、気がついたら人気はなくなっていた。
目の前には大きな門、門番が俺達を見ていた。
「そして、ここがウル家の城だ」
「はあ〜.....ここが、レイトの家か....」
白を基調とした城壁の奥に、見上げるほど高い城がそびえ立つ。
この城壁の長さからして、恐らく中の構造は住居のためだけではないらしい。
門番達は俺達を怪しそうに睨んでいたが、アモル隊長を一目見ただけで飛び上がり、背を正した。
「アモル少将殿!!任務ご苦労様です!!!」
「しょ、少将!?」
零はびっくりして後ずさる、少将といえば旅団または師団を任されるレベルだ、エリート中のエリートではないか。
「いえ、門番ご苦労さまです。ところで今レイト皇子は在宅していますか?」
「はい、先程オリュンポス十二神らの会議が終わり、帰宅しております。この後は他に予定もなく本日はこのままご在宅だそうです」
「それはなにより。引き続きよろしくお願いします」
「はっ!!」
門番達は城門を開城すると、アモル隊長へ敬礼をした。
その間を通って城門を潜ると、そこはまた別の世界だった。
街とは違い、落ち着く静けさが城を包んでおり、神聖な空気があたりを満たしている。
俺は思わず深呼吸をした。
そこは庭園だった、まっすぐと突っ切っていく隊長を追いかけると家のような扉があって、そこを開けて中へ入る。
目の前に広がるはまさに物語の中の城のようだった。
赤いカーペットの廊下に、左右に別れた階段、その上を照らすシャンデリア。
アモル隊長は構わず、真ん中の階段を上がっていき左手に曲がった。
俺は思わず、豪華絢爛な飾りに目を奪われていると、零が階段から俺を睨んでいるのを感じて慌てて追いかける。
「レイトのあの性格からは、考えにくい家ですね」
「それは本人が一番わかってるさ、でもこれは先祖代々ウル家が守ってきた家だからしょうがない」
隊長はずいぶん立派な扉の前に止まって、ノックをする部屋の奥から声がする。
「入るぞ」
そして扉を開けて、先に俺達を入らせてから扉を閉めた。
「ようこそ天界へ、皇子として歓迎しよう。バーナー、零、よく来てくれた」
そこでレイトは立派な大きな木の机に肘をつき、椅子に腰掛けながら待っていた。
「ここは落ち着かないだろう?いやいや実は俺もなんだ、広いし、眩しいし、何よりこのご身分よ」
相も変わらず、皇子らしからぬふざけた調子で手を煽る。
そしてコーヒーカップに口をつけて啜る。
アモル隊長はそんな様子を見ながら、部屋に置かれたソファにどかりと腰掛けた。
「アモルもお疲れぃ、二人も疲れたろう、ほれ座った座った」
「失礼します」
零は礼儀正しくソファに座る、その隣に俺も腰掛けた。
「長旅ご苦労。わざわざ軍部に行くのはめんどくさいだろう思って、今インセットに書類を取りに行かせてる」
「お兄ちゃんだって忙しいんだぞ、全く...」
「お兄ちゃん.....?」
「ああ、そうか。お前らあいつにあったことないのか」
レイトは思い立ったように立ち上がると、アモル隊長の頭にポンポンと手を置いた。
隊長は不満そうに甘んじてそれを受けている。
「アモル=テラス、の兄インセット=テラスは軍の最高位元帥兼俺の護衛で.....」
『元帥!?』
俺達はびっくりして声を合わせて思わず立ち上がる。
元帥ということは、天界軍の最高司令官ではないか。
皇子様はそんな御方をこき使えるってか。
「俺がどうかしたのか」
噂をすれば、元帥様が扉の前に立っていた。
確かに顔も髪の色もアモル隊長と似ている。
一つ違うとすれば、瞳の色が深い黒であることだ。
レイトがイケメンなら、こちらは美形というところ。
だが元帥というからには、歳のいった方だと思っていたが、レイトと同じくらいの青年ではないか。
彼は首から膝上までローブで隠されていて、体型はまるでわからず、顔と足以外全く見えない。
「言われた通り書類持ってきたからな」
「ありがとな」
「それで、こいつらが例の奴らか」
彼は歩きながら俺達を見定めるように、上から下まで観察すると、レイトに何やら書類を手渡す。
「俺はインセット=テラス、どうやらこの糞マフラーが紹介していたらしいが。天界軍最高司令官元帥のインセットだ、だが所詮は位なんて飾りだ気にするな。問題は、使えるか、否か」
彼の視線は、品定めのようで、それでいて警戒色を孕んでいる。
ローブの中で腕を組んで立つ姿は、威厳があった。
俺達は緊張ですっかりと挨拶することができず、座っていた。
「バーナー、零。お前達は今日から天界で暮らすわけだが、その為には天界のことを知ってもらう必要がある。ここは下界とは違う、優しい世界じゃない」
レイトは隊長の頭から手を話し、受け取った書類をさらに俺達へと渡す。
差し出された書類には、入軍申請、と書かれていた。
「お前達には、天界と下界が再び手を取り合う世界の再生の手伝いをして欲しい、ことはもう言ったよな?力不足で、普通の外交では人間達は振り向きもしない。お前達には申し訳ない形、二人だけを巻き込む形となってしまう軍事的外交という風になってしまったことは、謝ろう」
レイトはそう言って俺達に向かって深く頭を下げた。
元帥はそれを見て補足的説明を加え始める。
「人間達に何度も頼みこんだが、こういう利害関係でしか俺達の存在を認めないと言われた。恐らく、こちら側で新兵を鍛え、手に入れることで、軍力の強化を図れるということだろう。その実験的段階として、その計画が成功するかどうかということでお前達二人が送りこまれたわけだ」
「あちらの要求はお前達二人が、天界の兵士と同様に任務をこなすことにある。任務の危険性は高まるが、安全性も考慮して、俺の管理下にあるこの特殊攻戦部隊に配属させてもらった。俺の目も届くし、アモルやその部下も充分すぎるほどの実力がある。お前達はもちろん下界の政府の為なんかじゃなくて、お前達の為に頑張って欲しい。きっとそれは、バーナーと零の成長に繋がる」
レイトは顔をあげると、楽しそうに話しながら部屋を歩き始める。
きっとこれから始まる物語を想像しているのだろう。
かくゆう俺も期待と夢で胸を膨らませていた。
「いちお下界の政府に定期的に報告書を提出する決まりになっているが、そんなの適当に書いておけばいい。何か言われたら俺が対処しておくさ!バーナーと零には、ここでしか学べないことを吸収して成長して欲しいんだ」
レイトはこっそりと内緒話をする少年のように、俺達に話しかける。
零はそれを聞いて目を輝かせて質問した。
「アモル隊長から、太古の天界との交易で魔法を手に入れたと聞きました。では現在の人間の魔法の水準は、その関係が途切れたまま止まっているということですか」
「その通りだ、君は頭が回るな」
元帥殿は、関心したように頷く。
それに零はカチカチとした言葉使いで反応する。
「お褒め頂き恐悦至極でございます元帥殿!」
「呼び捨てでいい。無理ならせめて敬称でもつけてくれ」
「わかりました、インセット殿」
「ああ。そう、零と言ったか。君の言うとうり、下界の魔法水準は現在の天界から見れば極めて低い。君が魔法を学びたいというならば、アモルの部隊には一流の魔法書と魔術師がいる、好きにするといい」
「すみませんインセットさん!俺、剣術をもっと学んで強くなりたいんですが!」
俺はそれを聞いて乗り出して質問した。
「そんなことか。ならうちの妹から鍛えて貰うんだな、間違いなく強くなるだろう。なんせ俺の妹は、最強の剣士、部隊の奴らも全てアモルが鍛えたエリートだ」
インセットさんはアモル隊長の頭に手を置いて撫でて見せる。
隊長は嫌な顔せず、むしろ喜んでいるような顔で胸をはった。
「だがもちろん君達の優先することは、任務だ。そのことを忘れないで欲しい」
インセットさんは隊長の頭を撫で続けながらそう言った。
「まずこの天界の仕組みについて教えてやらんとな」
「仕組み、ですか」
「そう、でもその前に飲み物と菓子が必要だな」
そうレイトは笑うと、タイミングを見計らったように扉が開いた。
レイトは入ってきた人物に駆け寄る。
「紹介しよう、嫁のキャンディーだ」
そういって女性がもつお茶請けや飲み物を半分手に持って俺達に配っていく。
嫁、ということはレイトは既婚者だったのか。
女性は長い金髪を三つ編みで纏めた、色白のお淑やかな人だった。
一つ気になることと言えば、近くに女性の身長以上の長い金属製の杖が漂っていること。
「初めまして、私はキャンディーです。ふふ、実は私も人間なのよ、そういう意味では何かわからないことがあれば、是非頼ってくださいね」
「キャンディーは人間の中でも、俺達に近しい種族なんだ。『巫女』という一族で、俺達の存在を知っている唯一の人間達だ」
「『巫女』、聞いたことがあります。神に祈り、力を借りることができる種族だと......まさか実在するとは.....」
零は珍しいものを見るように女性を見ている。
「ええそうなんです。厳密に言えば、人間よりこちら側に近い種族なんです。でも近いだけであって立派な人間ですよ。恐らく巫女が珍しいのは、彼らが魔女や魔法使いに隠れているからでしょう。私もその一人です」
配られた飲み物をさっそく口にしようと手を伸ばしたが、レイトに制される。
何だろうとよく見ると、カップの中の紅茶だろうか、冷めてしまっている。
すると彼女は手を動かすだけで、漂っていた杖を操り、掲げた。
『ヨッド』
そう言うと杖が淡く赤色に輝くと、なんと紅茶から湯気が立ち上った。
俺は目が飛び出るかと思うほど驚いた。
ヨッド、四大元素の火を操る詠唱だ。
だがここまで自在にコントロールできる魔術師は初めてみた、普通はなんでもかんでも燃やすものだと考えていた。
「どうぞ召し上がってください。レイト君とインセット君は珈琲を、アモルちゃんはオレンジジュース、お二人は好みがわからないからホットティーにしてしまったけれど」
アモル隊長は何もなかったように、いただきますと嬉しそうにお茶請けに手を伸ばしている。
レイトはソファの前の机ではなく、先程いた机の方で珈琲を啜る。
「うん、それじゃあ始めようか」
失楽園 第一章 第6節
白銀の騎士は静かに佇んでいる。
腰まで伸ばした銀糸のような美しい髪をなびかせて。
だが、俺はそいつが口にした名前に、顔を白くさせることしかできなかった。
「アモル......だと......!?」
アモル=テラス、別名『銀狼』。
記録に残るは人類史最恐級事件の主犯、戦場を徘徊し、ただ斬ることのみを至上とする、正真正銘の化け物。
裏腹に、天界で特殊特攻部隊隊長を務め、世界を救った英雄の一人。
実力は天界でも五本の指に入るという天界軍屈指の剣士。
俺はすぐ様剣を構えた。
「悪名高き『銀狼』様が、俺達に増援だと......??ふざけるな!!!!お前らは、天使だろうが!!!!!」
「はい、それを承知で参りました」
「今更、はいそうですかお願いしますなんて.......馬鹿にするなよ化け物がっ....!!!」
「否定しません」
そうして騎士はおもむろに、天使の死体の上に腰掛けた、なにも感じないと言ったふうに。
「だが同時に、肯定もしない」
なんの感情も込められていない瞳を向けられて、全身の毛が逆立つ感覚に冷や汗をかいた。
ただただ紅い瞳の奥には俺を映してはいたが、何も見てはいなかった。
相手にされていない、俺を前にして何も思っていない、きっとこいつは息をする様に殺すだろう。
俺はすぐに一歩身を引いた、いまだ謎だが俺の悪魔は身体からでて、銀狼を輝いた瞳で見つめている。
この時点で悪魔は使えないだろう、どうすれば生き残ることができるか考えろ。
相手の絶対的存在が枷となってしまい足が竦む。
「そうですね、ならば第三勢力の出現と捉えてもらって構いません。例えば、『反乱』とか」
「反乱だと.....?」
「ええ、私達は反乱軍です。ですので現在対立している人間に協力を乞いに来ました、と言えばそちら側の陣営に入れてもらえるでしょうか」
そうして百合のように微笑んだ。
だが、何故俺達なのか。
何故そこに俺達が選ばれたのだろう、こんな辺境の国の騎士団にではなく、人間という点でなら世界政府に協力を仰いだ方が力があるだろう。
俺の心を汲み取ったように白銀の騎士は、首を振る。
「いえ、あの勢力は信用できません。あなた達は先日熾天使、セラフィムと交戦したでしょう?彼はこちら側、第三勢力の一人です」
「どういうことだ」
「そのままの意です。彼は探していました、仲間となってくれる人間を」
「.......それが、俺達ということか」
後ろに控えていたジェイドが、俺の代わりに返事をした。
どうやらジェイドもこの状況を打破しようと頭をフル回転させているらしい。
実力の差は歴然、死に見つめられたと言っても過言ではない。
「どうやら彼はあなた達に決めたようですので、その意向に従い参上しました。彼の行動は神の意思です」
「熾天使ミカエルが第三勢力?ミカエルというのは天使の総司令官だろう、司令塔がいない奴らはいったい誰が率いてるというんだ」
白銀の少女は白百合の微笑みで立ち上がった。
優雅になびく髪からはふわりと花の香りがした。
「さて、そこから先は君より上の人と話そうかな」
少女は俺達の向こうを見ていた。
背には遠く離れた帝国の防壁があるはずだ、視線を辿るように後ろを向く。
そこには、援軍拒否したはずの増援が歩を進めていた。
先頭を行くは騎士団長、馬に跨り走らせている。
その後ろを多くの騎士が歩いていた。
彼女は援軍がここまで到着するのを待ち、その間も笑顔を貫く。
騎士長は俺の隣までくると、馬から降りて兵を周囲に囲ませ体勢を整わせる。
槍兵が盾兵の後ろから槍を構えている。
全方位から覗く槍は天使へと向いていた。
「騎士長.....」
「無事で何より、お前らは下がってろ」
いつになく緊張した面持ちで俺達に言い放った。
騎士長も目の前の敵のただならぬ圧倒的なまでの「死」を感じとっているらしい。
ジェイドはそれを受けて慌てて後ろに下がったが、ここで側を離れるわけにはいかないと感じ、俺は騎士長の馬の手網を握りしめた。
それを横目でみていた騎士長はそれ以上は語らなかった。
まさに一触即発の空気に喉をならす、周囲の兵たちの緊張感を背中で感じる。
その緊張の糸をきったのは白銀の騎士だった。
彼女は雪降るなかでいてさらに白く見えて、消えてしまいそうな儚さである。
腰布の端をちょいと手でつまみ、どこぞのお姫様のように優雅に頭を下げた。
動作の一つ一つが美しく、目が奪われる。
「お初にお目にかかります。上位階級第二位智天使、ケルビムが一対、アモル=テラスと申します」
「.......この帝国の騎士団長をやらせてもらっているドクトゥス・ミセルだ」
騎士長は重い声で答える。
この天使ならば俺達を数秒足らずで、今ここにいる全ての人間の首を跳ねられるだろう。
痛みを感じる間もなく、死んだと認識する前に死ぬ。
この場にいる全ての人間という人間が、天使の一挙一動に目を見張った。
それを受けても笑顔で居られる肝の強さは、容姿からは想像出来ない。
「今はお見えになられない我が主の代理、ミカエル殿の命により参上仕りました。貴公等を騎士とお見受けして、一つお頼みしたい。どうか武器収めて頂きたいのですが」
「ほう、何故敵に武器を下ろす情けをかけられようか。まずご要件を伺おう、話はそれからだ」
騎士長は毅然たる態度で堂々と答えてみせる。
それを受けて天使は容易に行くとは思っていなかったのだろう、平然とした顔で会話を続ける。
「それもそうでしょう、私も部下にはそうさせると思います。.......そうですね、簡潔に言うならば、私は敵ではなく味方です。いや同盟を組みたく参りました。証拠として天使一師団程でしょうか、手こずっていらっしゃったので少しばかりお手伝いさせていただきました。それにお二人を傷つけることなくお返ししましたし、今だって武器を構えてはいません」
にこりと笑う、それは上辺だけの笑顔にはすくなくとも見えなかった。
騎士長はそれでもなお頑として受けようとせず、ただ天使を見ていた、あるいはそうすることしかできなかったのだろうか。
それを受けて、銀狼は軽く溜息をつくと、腰の剣帯に手をかけた。
そして得物を鞘ごと取り、こちらの方へ放り投げた。
空中で回転し、地面に刺さる。
あのように放り投げて地面に突き刺さるものか、俺は思わず二度見してしまった。
「私はレイト第三皇子に仕える者です。名前はご存知ですね?」
「......天界の次期王で八年前の英雄だろう。天空神ゼウスと太陽神アポロンの意志を継ぐものであるとも」
「そう、肝は『ゼウス』です」
彼女は少しイラついた様子で辺りを見回した。
「ゼウスというのはオリュンポス神族の一人で、現在天界を牛耳っている神々のことです。その前はティターン神族という神々が天界を支配していました」
「それくらいは知っている。ティターン神族はオリュンポス神族とのティタノマキアの戦いに敗れ、政権を奪われ、挙句の果てにタルタロスに幽閉されたのだろう」
「そう、彼らはタルタロスに幽閉されていた、筈だった」
彼女はよく見ると冬とは思えない程の季節を間違えているような薄着で、白い肌が多く見えていた。
手先も鼻先も赤く寒そうだ。
「だが八年前、世界を救った英雄たちはタルタロスを倒してしまった。するとどうだろう、ティターン神族はタルタロスから抜け出してきたのです。彼らは天界の政権を奪い、オリュンポス神族に、ゼウスに復讐を果たす為に、天界の首都アクロポリス以外の全ての浮遊島や街、村落を制圧、天界は文明としての機能を停止しました。あるのは下界と同じ、いやそれ以上の荒み具合と言えるでしょう。皮肉ですね、世界を救った英雄は世界を救ってはいなかったのですよ」
そうして彼女は雪が降り積もった冷たい地面の上に膝をついた。
交戦の意図はないと示すためだろうか。
「彼の神々はティタノマキアの再演をしているのです。いや脚本はかわっていますね。具体的に言うならば、今回の公演は人間という役がいるということです」
「.....どういうことだ」
「興味が湧きましたか?ティターン神族は人間を利用しているのです、いえどちらかというと、一気に掃除してしまいたいのですよ」
少女は降り積もった雪の中に咲く可憐な百合のようだ。
「まあ、簡潔に申し上げますと、ティターン神族の目的は世界の再構築です」
「再構築.....?」
俺は思わず口に出してしまった、咄嗟に俯いた。
すると天使は次に俺をみて話始める。
「ええ、もう一度自分たちの手で支配する為に、もう一度やり直す為にキレイさっぱり掃除をし、全てを初めから」
「その為には殺り合わせる方が楽だということか」
「理解が早くて助かります。はい、そういうことです、世界規模の戦争を引き起こし、残党は後で掃除すればいいだけ」
騎士長は彼女の顔を少し見つめた後、そのまま手を上げた。
すると槍兵は槍をあげ、盾兵は構えを解いた。
「ありがとうございます」
「お前のそれが正しいとして、何故俺達でなければいけない。世界政府に頼みこむのが妥当だと思うが」
「でしょうね、ですが信用できません。何故なら、彼らの上層部はティターン神族と繋がっている可能性があります。だって可笑しいじゃないですか」
そういって彼女は鼻で笑って、馬鹿にしているような顔で俺達を見た。
「だって彼らは天界へと繋がる扉の存在をしっているんですよ?私達が教えたんですから。友好の証にと飛ばなくても行ける下界と繋がる扉を」
「なるほど、知っているはずなら初期の段階で軍隊を編成し天界へ突入、または和平締結を結ぶ為に何らかのアクションを起こしていた、と」
「そう、ティターン神族に丸め込まれた可能性があります、例えばお前達だけは『楽園』へ返してやろう、とか」
「『楽園』、神の禁を破り人間が追放されたというエデンの園のことか.....」
「そうです、そしてエデンの園には生命の樹があります。生命の樹の果実は永遠の命を与えるものです、そんなものがある場所へ導くはずがないと考えればわかったでしょうに」
騎士長はこの話を噛み砕くように少し黙りこむ。
そうして天使の刀を地面から引き抜いた。
「貴殿の申し出は理解した。だが、それが正しいという確証はどこにある、何を持って命を賭けるに値するか」
騎士長は刀を少女に向けた。
それをみた俺の悪魔は、ムッとした顔で騎士長に手を伸ばした。
だが少女の声で制される。
「やめろレヴィ」
「っ、だけどアモルこいつ、アモルに刃を向けやがった」
「やめろ」
少女の未だかつて無い殺気が、刹那周囲に広がり、目の前を嵐のような暴風が吹き通った気がした。
こいつは違う、俺は何かこの少女から異物を感じとった。
だがそれはわからず霧の中に溶けてしまった。
その少女は向けられた刀の鞘をみて、痺れを切らしたかのように、まさにピリっと電気が走った。
「ならば、最初に戦いが始まり、そして滅んだ王国」
その言葉で俺は顔を上げた。
そう、その王国とは俺の母国だ。
「あそこには一度だけ、開幕を知らせる為に神が舞い降りた。その神の名前を知っているか?」
覚えているとも、鮮明に覚えているとも。
時計塔の上で、笑いながら叫び散らしていたその名前は。
彼女は人間達を一人ひとり見回した。
先程までの少女らしさは全くない、歴戦の戦士のような気迫で続ける。
「ならば逆に問おう人間達よ。貴様らが命を賭けるに値するものとはなんだ。復讐に燃え、ただやられたからやり返すを繰り返すばかりのこの戦争に、いや戦争とも言えない代物のこの殺戮を、子供のように泣きわめきながらやることが、命を賭けるに値するものなのか」
少女の形をした戦士からは怒りを感じとった。
このくだらない戦争を鼻で笑い、本気で怒っている。
「そうだと言うならば貴様らは騎士ではなく、また戦士でもない、ただの言い訳を続ける小さな子供にすぎん。いや子供よりもタチが悪い!!子供ですら学習をするというものよ、貴様らは復讐という一点を見つめ続け、盲目になってしまった哀れな雛鳥だったという訳だ」
白銀の騎士は鼻で笑っては、鋭い眼光で騎士長を見た。
この言葉を受けて周囲の騎士達の不満が声となって出ていく。
ザワザワという声の中で、一人の人間が剣をもって現れた。
「馬鹿野郎....死ぬ気か.....!!!」
俺は柄を握るが、騎士長の待てという声で制された。
どうしてだ、このままでは殺されるだけだ。
そいつは震える剣で、少女を捉えている。
「さっきから聞いていれば、好き勝手いいやがって!!」
「ならば殺すか?」
彼女は鋭い眼光と強い声でぶれる剣先を見ていた。
「いいだろう、殺したければ殺すがいい。元より八年間、動きたくとも動けなかった私とは違い、復讐に燃えるばかりで、他にも選択肢があって正しい道を歩み、戦争終結の糸口を見いだせたかもしれない貴様らを、たった私の命で悪戯に命を散らすことなく終わらせられるなら本望だ。どうする、首をはねるか?心臓を刺すか?」
ますます震える剣先に、立ち上がった少女は自ら近づいていく。
遂には鼻先まで剣先が震える距離までに至った。
「ほら、好きにするがいい。そうだ、殺したからには同盟を組んで貰うぞ。ああ勿論、私の首をはねただけでは戦争は終わらんとも。貴様らが信じている敵とやらの軍力を削げたわけでもない、本当の無意味の殺人だが、それで私の使命が果たせるならば満足だ。ほら、どうした、そんな震えた剣先では、人間も殺せまい」
そして震えた剣先は少し頬を切り裂いた、傷口からは血が垂れ、頬を伝って地面に落ちた。
殺せる、今なら殺せる距離で、状況にある。
だができる訳が無い、天使といえどそれは少女の形をしていた。
どんな歴戦の戦士のようであって、剣の達人でも、女の子だ。
女の子が小さな背中にいっぱいに使命を背負って、覚悟決めて俺達と相まみえている。
その瞳は力強い意志がこもっていた。
そんな女の子を間違っても殺せはしない。
しかも俺達にとっては図星のような発言を、少女は的確に言ってみせる。
まるで千里眼でも持っているようだ。
剣を構えていた人間は、情けなく地面にどかりと尻もちをついた。
それを見て少女は蔑むように言い放つ。
「覚悟もない者が、剣を握るな」
それはこの場の全ての人間に言い放ったように聞こえた。
緊張感は更に張り詰め、誰もが息を潜めた。
誰もが自分に言われているような気がした。
「もう一度問おう人間よ。貴様らが命を賭けるに値するものとは何か。復讐に燃えることか、臆病になり続けることか、覚悟もない者を戦地に送り出すことか。ならば貴様達は戦争を履き違えただけの愚か者である。殺される覚悟のない者が命を奪った所で心が折れるだけだ、復讐に燃えた所で虚しさが残るだけだ、臆病になり続けた所で何も見えてこないだけだ」
正真正銘の騎士は、拳を握り語りかける。
「否だ、断じて否である。復讐に燃えた所でこの殺戮は終わらん。私一人殺した所で戦況は何も変わらん。ならばこの殺戮、貴様らの復讐心、如何様に鎮められるか?」
そして強く続ける。
「貴様らは八年間奮闘したとも、そこは賞賛に値する。だが復讐によっての殺戮はまた憎悪を生むだけである、ならばこの殺戮を終わらせられ、かつ大勢が死なずに復讐を果たせる方法があるとしたら、どうする」
熱のこもった声で真剣に問いただし、演説でもしているかのようであった。
一人ひとりの人間に目を配り、しっかりと思いを伝えるように。
「それは全ての元凶、ティターン神族をタルタロスに叩き返してやることだ。残念ながら、彼の神々は殺すことは出来ない。故にタルタロスに入れられたのだ。タルタロスとは、世界中の罪と闇が集約された地獄、いや地獄より酷い煉獄、永遠を生きる神々が罪を償う場所だ。繰り返される拷問、さぞかし辛かろう。そんな場所が嫌で出てきたのに、もう一度戻されてみろ。死にたくもなるだろう」
そうして彼女は、これでどうだと言わんばかりに騎士長を見つめた。
騎士長は深いため息と少しの沈黙を経て、刀を下ろした。
「....なるほど、これが英雄と呼ばれる所以か」
「なに、殺人鬼の間違いでしょう」
彼女は少し申し訳なさそうに、目を細めた。
騎士長は少女に刀を手渡すと、馬の上に跨った。
俺から手網を引き受け、この場にいる全ての者にこう告げる。
「皆の者、帝都へ帰還せよ」
その言葉を受けて、皆動揺したが、やがて帝都の方へと歩きだしていった。
その中で騎士長は俺の名を呼んだ。
「ルクス、彼女を....いやアモル殿を案内して差し上げろ。何かしら勝手のわからぬ事もあるだろう、しばらくの間は側付きを命ずる」
「はっ。拝命致しました」
「部屋は、西の客間が一室空いていたはずだ。それから、世界政府元帥アルブム卿がアモル殿に会いたがっていた、お連れしてあげなさい」
「アルブムがここに居るのですか」
彼女はその名に反応して、少し顔が和らいだ気がした。
「はい、ですが彼は世界政府の者、貴殿の話からするとあまり信用はできないと考えます」
「いえ、彼は信用するに値する男です。以前の戦いの時の戦友でした。アルブムは、恐らく世界政府全体の意思としてではなく、個人の意思で来たのでしょう。彼は人一倍熱い意志を持った男ですから」
そうして胸に手を当て、目を閉じると思い出すかのようにそう言った。
少女はいつの間にか白百合のような口調に戻っていた。
「そうですか。とりあえず、そこのルクスに付いてきてください。具体的な話の続きは戻ってからと致しましょう」
そして騎士長も背を向けると、帝都防壁へと馬を走らせていった。
俺は心の中で深いため息をしてから、彼女に向き合った。
「アモル様、我々も参りましょう」
「ふう....アモルか、隊長、とりあえず様呼びはやめて欲しい」
「は、はあ.....」
突然先程までの白百合のような儚さは何処へやら、まるで意図的に人格を切り替えているようだ。
心を読み取ったかのように、刀を剣帯に刺しながら答える。
「言っておくけど、多重人格者じゃない。こうやって意図的に切り替える事で、気持ちのスイッチを入れているだけ。そうやって仕事、こと戦いとの区別をつけてるってわけ、ルクスも出来るようにしたら楽だと思うけど」
「それはどういうことで、アモ.....、隊長」
いきなりアモルと呼び捨てするのは躊躇われ、比較的呼びやすそうな「隊長」と呼ぶことにした。
すると彼女は隊長と呼ばれると少し嬉しそうに俺を見た。
「なに、ちょっとだけ似てると思っただけ」
そうして白銀の騎士は、軽やかな足取りで雪舞う荒野を歩き出した。
その背中には少しの寂しさと憂い、そして手重い覚悟がのしかかっているのが垣間見えた気がした。
母になる為に
私は八年前戦線から離脱した。
仲間達は今でも己が剣を手にきっと戦いに明け暮れているのだろう。
あの時、あの日から、『私』の時間は止まったままだ。
止まったまま薄れることなく、激しく燃ゆることもなく、ただあの時のまま今もこの片隅に黒く暗く、だけれども惹かれるものを残したシミとなって存在している。
『私』は生き様だった、『私』は死に様であるはずだった。
それが、私は今、こんな幸せであっていいのだろうか。
いや私は『私』をこのままにしておくのが、酷く怖いのだ。
幸せであることにではなく、『私』をあそこに残して、換言するならば新たな生き様を見出して、かつての生き様を簡単に捨てられる私が、酷く怖く、醜悪に見えて。
かたりと音がして振り返る。
そこには息子が目を擦りながらたっていた。
私の新しい生き様、幸せの形。
「ママ、どうしたの.....?」
それはこんな夜遅くに電気もつけず、月明かりに照らされて一人でいたことにだろうか。
私は息子の頭を優しく撫でながら笑ってみせた。
「いま寝ようと思ってたのよ。レーヴは、怖い夢でも見ちゃったのかな〜?」
「うん、ママが、ママの顔が真っ黒でね、真っ暗な場所に立っててね、このままじゃママ、どっかにいっちゃうと思って....」
容易に想像できたとも、何故ならその夢は何度だって見たことがある。
真っ赤な手は、何度洗っても落ちないのだ。
どんなにこすっても落ちないそれをみて、私はそれでもなお刀を握るのだ。
「ママ?」
「.....大丈夫、そういう時はパパを想像しながら寝るの。パパは、うん、強いんだから」
そういって私は彼に良く似た真っ赤な髪の上から額にキスをした。
安心したのか、息子はへにゃりと笑って駆け足で部屋に帰っていく。
見届けてから、月明かりに照らされているベランダにでる。
私はもう一度思考の海に浸る。
我が主は八年前に言った。
八年待てと、八年は何もせずに傍観しろと。
そういってから八年経とうとしている。
天界はどうなっただろうか、私の部下たちは、レイトは、お兄ちゃんは、今でも『私』の影を見ているのだろうか。
魔界は酷く静かで、本当に戦争などおこっているのだろうか。
八年、私は幸せに浸かったとも。
結婚し子供を二人も授かった、毎日輝いていて新鮮で楽しくて、ああなるほど、普通とはこんなにも幸せなのかと涙した。
私だけ、私だけが、一人逃げ出してきて。
一人だけのうのうと幸せに浸っていいのか、一人だけ死から遠のいて笑っていていいのか。
私の部下は、同胞は、お兄ちゃんは、死地に赴いているというのに?
最後に刀を握ったのは、今でも思い出せるか。
怖いと思ってしまった。
刀が握れないのが、いや生か死か、味わうことができないことに。
手が赤くないことに。
「ああ、生粋の、兵器だったのだなあ...」
今の幸せを失うことも怖い、あの団欒に自分が居ないと思うと、子供たちを思うと、怖いとも。
でも私は最初「戦士」たれと生まれた、それが余りにも長すぎたのだ。
私は『私』でないために、私を殺し、再び『私』が燃ゆることで、手に入る。
私は『私』を殺しにいかなければならない。
幸せに浸かるのは帰ってからできるだろう。
何より仲間が、待ってる。
私はベランダの窓は開けたまま、自分の部屋のドアを開ける。
部屋の奥のクローゼットの奥、埃をかぶった得物とあの時の服を手に部屋をあとにしようと思い、ベッドの横で立ち止まる。
彼が、私を救ってくれた愛しい彼が。
私は引き返しそうになった、心弱くも挫けそうになった。
私は無理矢理部屋あとにする。
玄関では音が大きく子供たちが目覚めてしまうと思い、ベランダから行くことする。
私はブーツを玄関から出してベランダで履き、ワンピースを脱ぎ捨て、動きやすいピッタリとした服をきる。
鎧は魔力で編むから今でなくて平気だ、最後に刀を抜こうとする。
八年手入れをしなければ錆びるいうもの、全く抜けない。
だが刀は私の魔力が含まれている。
恐らく魔力を通せばあの時の輝きをとり戻すだろう。
「起きて、『六花』」
そうして刀に魔力を通すと月のひかりを浴びてより一層と輝きを放つ。
抜刀するとするりと滑らかに抜け、待っていたと言わんばかりに白く輝いていて眩しい。
ああ、思わず口の端があがってしまった。
私は鞘に収め、腰の剣帯にそれをさす。
そしてまさに翼を広げて飛び立とうと思っていた時に、一番聞きたくなかった声がした。
「行くのか」
ピタリと時間が止まった。
なんて言えばいい、なんて笑えばいい、どう笑えば、許される。
私は一気に冷や汗が額に浮き出た。
振り返れなかった、顔を見るのが怖かった、嫌われたくない、結局この道を辿っていくのかと蔑まれたくない。
彼だけには、彼だけの私でありたい。
「あ、う、私」
言葉がうまく形をなしてくれない。
もどかしい、嫌われたくない嫌われたくない。
ならば行くことなどやめてしまえばいいものを。
「......あんな大きな音出したら、子供たちが起きる」
そういって彼は椅子に腰かけた音がした。
大きな音など出した覚えはない、なんの話だろうか。
「ドアノブ、壊したろ」
彼は少し小さなため息をついてそういった。
恐らく無理矢理部屋をあとにしようとしたために慌ててしまったのだろうか、力がはいってしまったのだろうか、気づかなかった。
私は適当に返事をして、一生懸命言い訳を探した。
嫌われないような、綺麗な言い訳はなんだろう。
頭の中が嫌われたくないの文字でうまっていっぱいになる。
「いってらっしゃい」
「え.....?」
私は思わず振り替えってしまった。
そこでは案の定彼が椅子に腰かけていて、こちらを優しく見ていた。
いつもの優しい瞳で私のことを見ていた。
だからそんな彼を見て、私は言葉がまとまってもいないのに一人走り出す。
「私、耐えられなかったの、その、私だけ幸せに暮らして、生きてることが」
彼は私の覚束無い言葉に優しく相槌をうって、静かに聞いてくれた。
するするとでる言葉が、綺麗じゃなくて、嫌われるかもしれないと思うと自然と涙が溜まる。
「だから、いかなきゃ、私.......」
彼は最後まで私の話を聞いて最後まで私の目を見ていた。
全部見ている、きっと頭の奥まで。
彼はそれを踏まえた上で、こう言った。
「ん、待ってる」
「........いいの?」
「行かないの」
私は首をぶんぶんと横にふる。
ここまできて意志を変えるわけにはいかない。
私はそれでも泣きそうな目で彼をみた。
「じゃあ、いってらっしゃい」
彼の多くはない口数で、もう一度言った。
全部お見通しだ、嫌われたくないことも押し通したい思いがあることも。
それを踏まえて彼はそれを言っている。
私は落ちそうになる涙をゴシゴシと服の裾でふいて彼をしっかりと焼き付ける。
「うん、いってきます、ザギ」
失楽園 第一章 第五節
白い息をほうと口から吐き出す。
目の前で揺れる蝋燭の灯火だけが熱を放っている、すべての物は時が止まったように冷たく暗い。
先日のアルブム卿の件から数日、我が団は緊張状態が続いていた。
何時までたっても終わることない上層部の会議に皆嫌気が刺したのだろう。
俺は雪空の下、当番制の団の門で見張りを交代したばかりであった。
夜中の見張りほど嫌なものはない、マフラーに顔半分を埋める。
静かに降り積もる雪をただ見ていた。
見ているだけで、こちらの心も白く冷たくなっていくような感覚に吸い込まれ、目を閉じる。
感覚が研ぎ澄ませれていく流れに身を任せ、己の世界に入っていくのは心地がよい。
彼女の声が聞こえる気がするのだ、自然と口元が緩む。
『大丈夫、大丈夫』
そんな声と手の感覚が偽りでも嬉しい。
俺は幾ばくかの優しい思い出に浸り、目を開いた。
「凄いよ、リュミエール。こんなにも、想うだけで胸が暖かくなれる。でも、俺は駄目だな.....まだ、君を助けられそうにない」
頬を一筋の雪が滑り落ちた。
独り言を口にして自らを嘲る、そうして俺は抜け出すことのない闇に、自らを投げ出し続けるのだろう。
俺はポケットに入っている首飾りを取り出して、左耳にあるイヤリングを触る。
首飾りはリュミエールが最後に身につけていた遺品で、俺が誕生日に贈ったものだ。
イヤリングはそのお返しにと、誕生日に贈ったものなのに何故か彼女がくれたことを思い出し、笑みがこぼれる。
イヤリングは今ではインカムとなっている。
今まさに目の前で瞬きしているような輝きだ。
俺はそれをポケットに丁寧に戻そうとした時。
「通達する、六時の方向に敵影あり!!その数.....数千、いや、一師団!!!全団員に通達する!!敵襲ー!!!」
見張り台から爆音のように警鐘が鳴ると同時に、一斉に本部建物内から人が出てきた。
「一師団だと.....そんな馬鹿な、一万以上もの、いままでそんなこと」
これからが本番だっていうのは事実なのか。
俺は首飾りを首にかけ、服の中にしまった。
壁に立てかけていた剣をとり、腰にさして走り出した。
『おにいさん、流石にこれはやばいんじゃない?』
「黙れ!そんなこと言われなくてもわかってる...!!」
俺は見張り台の階段を駆け上って、その光景をみた。
防壁から遥か彼方の乾いた大地に、空から蟻の行列のように振り続ける天使たち。
「双眼鏡かせっ!!」
俺は隅で蹲る見張りから双眼鏡を奪い取り、天使を詳しく観察する。
天使はどれも二枚一対の翼で、今のところ智天使以上のものは見られない。
その時イヤリング兼インカムから慌ただしいジェイドの声が流れ込んできた。
『ルクス!おい、見てるか!!』
「ああ見てる!!ジェイド、そっちはどうなってるんだ!」
『団内はそりゃ、しっちゃかめっちゃかさ!!一師団責めてくりゃ、そりゃ混乱したくなる!!』
「騎士長からは!?」
『俺達仮面は前線だとよ!!防壁到着予測時間は残り三十分、あと十五分で支度して迎撃!!』
「了解」
俺はジェイドとの通信をきり、騎士長へと繋ぐ。
「こちらルクス。現在目視で敵影確認、通達通りおよそ一師団、防壁へと進行中。北方見張り台にて待機、迎撃可能です」
『了解。今すぐ迎撃できる者は他にいないのか』
「こちらジェイド現在ルクスと合流試みている!!北西の防壁を走行中!!到着予測時間はあと二分!!その後迎撃可能です!」
『では合流でき次第迎撃せよ』
「了解」
俺は双眼鏡を捨て、腰の剣の柄に触れた。
今回ばかりは勿体ぶっている場合ではない。
俺は一際大きく深呼吸をした。
『僕の本気、受け入れるつもり?』
「ああ」
『初めての時はだいぶおにいさん壊れちゃったけど』
「黙って働け」
俺は剣を抜き取り見張り台の壁縁に片足をかけた、真下は少なくとも落下したら助かる確率は低いほどは高いであろう。
隠していた仮面を顔に取り付ける。
仮面にあいつの力がじわじわと染み込んでいく感覚に浸る。
「ルクスっ!!!いくぞ!!」
階段を上がってきたジェイドが後ろで叫ぶ。
「了解。迎撃を開始する」
俺は背後のジェイドを振り返ることなく、かけていた片足を蹴った。
そのまま身を任せ自由落下していく。
後ろからはそれに続くジェイドの声がしっかりと聞き取れた。
力の発動の条件は揃った、あとは俺がその名を呼び、奴の名を縛り、確実に引き出す。
俺がこいつにどれだけ耐えられるかの勝負だ。
「叫べ、『レヴィアタン』!!!!」
『そんなに情熱的に呼ばれたら、少しだけ本気だしちゃおうかなあ』
足が地面に触れた瞬間、水が俺のあたりを囲いこんだ。
そうして着地の衝撃は吸収され、俺はなんとか降り立つことができた。
大きく一歩を踏み出す、体は人間のスピードとは言えない速さで地面を蹴った。
『僕の力は身体強化、だけどさ。おにいさんこのまま耐えられるかなあ〜』
「当たり前だ」
天使と接触まで残りニkm、俺は剣を下段に構えた。
不意打ちに等しいほど、目の目にきた天使の首を切り落とした。
そうして戦いの火蓋は切って落とされる。
周囲の天使たちの首を落とし、腕をきり、心臓をつき、目を貫く。
だがそれはこちらも同じ、ジェイドがいるとはいえ無双状態で敵しかいない。
雨のように振り続ける、斬撃と銃弾を避け続けるのも無理がある。
「ジェイド!」
「ああ!!」
俺達は背中を預け、剣を構えた。
「なるべく連携して、着実に数を減らすぞ」
「俺もそう思ってたぜルクス。でも、流石にこりゃ多すぎじゃねえか」
周囲は馬鹿みたいに天使しかいなくて笑えてくる。
「はっ、神様は厳しいなあ」
体内を熱い血液が巡る感覚がわかる。
今にも逃げ場を求めて外に溢れ出そうだ。
滴る汗が乾いた大地に跡を残した。
『こちら本部。ただいま二人の交戦開始を確認した。現在十人の仮面がそちらに向かっている』
「了解、到着まで持ちこたえる」
「本部も手厳しいねえ」
俺達迫り来る天使の軍団に応戦しながら会話をする。
余裕があるぐらいが丁度いいのだ。
薙ぎ払いを避け、心臓に剣を突き立てた。
血飛沫が顔面を濡らし、思わず目を瞑る。
「人間、風情が.....」
「貴様等が始めた戦だろうが」
「違うね、最初に始めたのは貴様等人間だ」
「.....なんだと?」
「貴様等は自らの手で首を締めているのだ!哀れだ!!実に滑稽だ!!!貴様等を断罪するのは我々ではない貴様等だ!!」
俺はそう豪語する天使に剣をより深くめり込ませ、そうして抜き取る。
乾いた大地に広がる血溜まりにパシャリと足を突っ込んだ。
ジェイドが背後で中々苦戦しているようなため、そちらに駆けつけ連携をとる。
敵がジェイドの横払いで体制を崩したのを見計らい、間髪入れずに首をはねた。
だがそれはこちらも隙を生んでいたらしく、潜んでいた敵の槍の一突きが横腹を軽く抉った。
『応援部隊そちらに向かっています!!耐えてください!』
「っ了解....!!」
「ルクス!」
「問題ない集中しろ!!!」
俺はジェイドも己にも、一喝するつもりで叫んだ。
今ここでやつは俺を助けると二人とも隙が生まれる、俺は今ここで立て直し反撃しないと死ぬ。
そう、戦場とは生きるか死ぬかだ。
「はあああああああっ!!!!」
俺は維持でも倒れそうになるのを踏ん張り、剣を相手の脳髄に突き刺した。
矢が腕に刺さるが殺すことが先だ、俺は体重をかけてより深く突き刺す。
「ルクスすまん!そっちに二人零した!!」
「......っふざけんな、しっかり、仕事しろ!!」
俺はすぐに切り替え、天使の体を突き飛ばして、剣を抜き取る。
かなり天使の数は減らしたつもりだが、一向に相手の勢いが弱まる気配はなく、防壁へと着々と進軍している。
あいつのお零れを処理し終わった頃にはもう限界に来ていた。
体力的にではない、身体的に耐えられないのだ、汗が止まらない、鼓動は五月蝿い。
「ルクス!大丈夫か?」
「お前こそ」
「俺は大丈夫じゃないな.....片腕やられたし、体力もそろそろキツい」
そう言った片腕は確かに力無く項垂れている。
絶望的だ。
一師団の戦力をたった数百人で防げと、そんなの無理だ。
だが今に始まった事ではない、こんなの戦争が始まった時から絶望的な状況だったではないか、圧倒的不利、個々の戦力差、能力の違い、その全てが絶望的でどれも人間が勝るものなどなかった。
そう、俺達人間は抵抗をし始めてしまったこと自体それが、敗北を決定的にしたのだから。
そんなことに気づいてしまって、俺は剣を握る力を緩めた、思わず下を向いた。
「無理だジェイド.....これは負け戦だ」
「ルクス....」
「人間の勝率は絶望的だ」
「諦めるか?ここで死ぬか」
そのジェイドの、いつもらしからぬ声の調子に気がつかされる。
そうだ、こんな大事なことを二の次にしていたなんて。
「だが、それは、俺の復讐には、全く関係ない」
俺は剣をもう一度強く握りしめる、諦められるか、諦めてたまるか、我が怨念、我が憎悪、我が復讐、一度諦めそうになった己が恨めしい。
こんなにも今でも燃えているというのに。
刹那、天使達が一斉に動きを止めた。
そうして、皆空を見上げる。
ザワザワとどよめき、慌て始め、ある者は泣く者すらいた。
空には一縷の雷が騒いでるだけだ、それでも天使達はそれを見て騒ぎ立てるのだ。
『ああ.....これは』
胸がざわついた、いや悪魔が歓喜している。
涙を流し、今にも俺から出ていく勢いを必死に押さえつける。
そして、雷は落ちた。
距離は遥か遠く離れているその場所に、一人の白銀の鎧が片膝をつけて頭を下げている。
それはそのまま翼を大きく広げた、それは美しく光り輝いていた四枚二対で、俺は目を奪われた。
だがいつまでもそのままで居てくれる訳は無い、立ち上がり、一歩を踏み出した。
「全隊員任務変更!!標的は『銀狼』、殺す気は起こすな!奴を退けろ!!」
天使達は雄叫びを上げ、武器を手に防壁とは反対方向に走り出した。
俺達など視界にも入らない。
仲間のはずだろう『銀狼』は、何故天使達に襲われているのか。
この八年間をひっくり返す出来事が起きている。
それでも鎧は一歩一歩地を踏みしめて悠々と歩く姿は実に美しい。
『覚えているともああ勿論だ』
心臓が強く握り締められるような感覚に思わず剣を落とした。
膝から崩れ、何とか片手を地面につける。
それでも俺は目の前の光景から目を離さなかった。
そうしてまた一歩踏み出したと思った、だがそこにはいなかった。
どこだ、初動もなくこんなに華麗に消えるものか。
方々を見回す、何処にもいない、代わりに天使達が血飛沫と悲鳴をあげて倒れていく。
その数はすでに俺が殺した数を上回っていた。
こうも簡単に命が刈り取られるのか、雑草を抜くように、死体の山が出来上がっていく。
なんだこれは、これが命ある者のやることか。
俺はすぐに震える手でイヤリングに触れる。
「こちらルクス......本部、応答せよ」
『こちら本部、応援部隊到着はまだ...』
「応援部隊を直ちに帰還、防壁の守備へ戦力を回せ。それから国民の避難を同時に進行せよ」
『な、何を.....ルクスそれはお前ら、自殺行為だ!』
それだけ伝えると通信を切る。
この状況に仲間を放り込んではいけない、ここは既に死神に見据えられた戦場だ。
白銀の鎧は悲鳴の渦の中心で躊躇いなく命を散らしていく。
そうして遂には、残りわずかとなったそこで動きを止めた。
もはや血に濡れ、白銀とは言えないそれがピタリと止まった。
ようやく視認できた得物は刀であった。
「私を『銀狼』と呼ぶことを許そう。私を化け物と罵ることを許そう。私を殺すことしかできないあやつり人形と使うことを許そう。私をもう一度、『罪』と認め、断罪することを許そう」
天使達は奴が動きを止めたことをいいように、翼を広げて一目散に逃げていく。
「私がもう一度、この私として、降り立つことをどうか許して欲しい。我が主、我が兄、我が忠臣、そして亡き我がたった一人の友」
そいつは祈るように胸に手を当てて、刀を掲げた。
先程話していた雰囲気とは全くの別人のように一変して。
「去るもの構わず、だが死をもって地に堕ちろ外道共!!八年間の我が主の積年の屈辱と我が怨念を、受けるがいい!!!」
奴は大声でそう叫ぶと逃げ惑う天使達に雷を落とした。
雨のように落ちる死体は地面を血の海にした。
この戦場に生きている者はいなくなった。
奴は変わらず屍の山に君臨している。
たった数分で、一師団を殲滅した。
目の前の光景を見て、ジェイドは耐えられなかったのだろう、隣で嘔吐した。
俺は手の震えが止まらなかった
そして奴はこちらを見据えた、しっかりと。
鎧の奥の瞳が俺達を写している。
「走れジェイド.....」
「無理だ、あんなの、だってこいつ」
「ボサっとしてんな!!逃げろ!!」
「その心配はない」
息が止まった。
降り続く雪だけが今動いている。
いつの間にいたのだろう、すでに目の前にいた。
刀から滴る血が死を宣告しているようだった。
「お前ら人間の敵ではない」
そして刀の血を払い、鞘に収めた。
「お前、中にあいつがいるな」
「は.....?」
「隠れてないで出てこいレヴィ」
ずるりと胸から魂が出ていくような、そんな気持ち悪い感覚が襲う。
すると目の前にいつも夢に出てくるあの悪魔が立っていた。
「アモル.....覚えていてくれたの....」
「.....残念だが、それは私じゃない。私じゃない誰かの魂が、お前に言っている」
「なんて....?」
「『あの時は、ごめんなさい』、と」
「そう.....そっか.....僕は、守れたのか。彼女の、意志を......でも君の命も、守りたかったなあ」
意味のわからない会話が目の前で繰り広げられている。
そして悪魔は涙を零していた。
鎧は悪魔との会話を一度切り、俺達を見た。
胸に手をあてる、すると驚くことに鎧は硝子のごとく弾け消えた。
鎧の下は、少女であった。
銀髪の美しい赤目の少女がそこに立っていた。
「私はアモル=テラス。我が主、レイト次期王の命令により、人間の増援にきた」
そして可愛らしく一礼をして、小さく微笑んだ。
「舞踏会」 『没 限定公開』
『ソレイユ』 一日目 『没 限定公開』
昔の話をしようか。